いつまでもアメリカン。http://foreveramerican.blog89.fc2.com/ --- 嫉妬(R18) --- -- 1 -- 「いいじゃん、時間まだあるでしょ?」 終電が近づく午前1時前。 たまに行くバーで、泥酔した男に絡まれた。 居た堪れなくなって店を出たものの、男はまだ食い下がってくる。 「近くにクルージングもあるし、さぁ」 「興味無いんで」 「オレ、アンタみたいなの、すげぇタイプ」 そう言って俺の手を取り、自らの股間に擦り付けようとする。 「やめて下さい」 腕を力任せに引き抜いた。 「何だよ、バーで男漁ってる、日照りしたゲイのくせに」 逆切れした男が、俺に向かってそう叫ぶ。 言い返す言葉は思いつかなかった。 男の顔を睨みながら、俺は足早にその場を去る。 大通りに出てすぐ、タクシーに乗った。 「駒込まで」 タクシーに乗るような距離じゃない。 終電もまだある。 けれど、もう人の中を歩くのが億劫になっていた。 こんなことは、今までも何回か経験がある。 体の関係無しに、交流を深めることは出来ないんだろうか。 いつも、そう思う。 自分が同性しか好きになれないと感じるようになったのは、大学生の頃だ。 それまでは、男女問わず、他人にそれほど興味が無かったから 気が付かなかっただけかも知れない。 サークルに入り、楽しく時を過ごす中で、ある先輩に複雑な感情を抱いた。 彼のことをもっと知りたい、もっと一緒に時間を過ごしたい、彼に触れたい。 そんな気持ちが大きくなるにつれ、自分への違和感で押しつぶされそうになる。 この時初めて、自分が同性愛者だと悟った。 自分の思いが、周りの仲間に、ましてや彼に受け容れられるとは微塵も思わなかった。 感情をコントロールすることに必死になっていた、と言うのが大学時代の印象だ。 彼が卒業を迎えた時、張り裂けそうな寂しさと同時に この苦しみから逃れられると言う安堵の気持ちも抱えていた。 それから、あの時のような気持ちに陥ることも無く、ただ時間だけが過ぎていった。 社会人になり、ある程度金と時間に余裕が出来た。 インターネットもこの10年では大きく変化し、知りたい情報は概ね手に入る。 自分と同じような悩みを抱える人がいることを知ったのも、ネットからだ。 それをきっかけに、ゲイバーに足を運ぶようになったのは、2年位前からだろうか。 話しているだけでも楽しかったし、孤独感を紛らわせることが出来た。 ただ、時折、体の関係だけを求めて言い寄ってくる男もいる。 愛の無いセックスは、などと言うつもりは無いのだけれど どうしても越えられない一線があった。 「柏木、今度の新規物件さ」 あれから何日か経った日の夕方。 同僚の西岡が声をかけてきた。 「川口のテナントビルだっけ?」 「そう。あれの打合せが金曜の午後にあるんだけど、一緒に行けるか?」 俺が担当しているのは、建物の積算業務。 材料や労務費、土工事などの金額を弾いて、工事全体の工費を出す。 物件に合わせて、基準書や物価本を眺めながらの、根気が要る作業だ。 件の建物は、それほど大きな規模でも無いので、西岡と二人で担当する。 奴とは入社当時からの付き合いで、かれこれ5年、顔をつき合わせている。 友達、と言う程の近い関係では無いけれど 時折飲みに行っては、愚痴を言い合うような仲だ。 その日の帰り、もう一人の同期と鉢合わせする。 総務の女の子と仲睦まじく歩く姿を見て、西岡が呆れたように呟いた。 「あいつは、懲りないねぇ」 そんな声が聞こえたのか、こちらを振り向く。 「おう、お疲れ」 西岡の表情とは対照的な、飄々とした顔をして話しかけて来たのが、諏訪だ。 奴とは研修の時に一緒だったものの、配属先が異なっていた為に、西岡ほど交流は無い。 けれど、背が高く、顔も良く、加えて手が早いと言う事実も加勢して 社内の女の子たちの、格好の噂の的になっている。 結果、俺たちの耳に奴の話が入ってくることも多かった。 「この間は、経理の娘じゃなかったっけ?」 「そうか?」 「その内、社内の女全員を敵に回すんじゃね?」 「敵に回すような終わり方はしないから、大丈夫だよ」 相当な自信家なのも、入社当時と全く変わらない。 二人のやり取りを見ながら、そんなことをぼんやりと思う。 その時、遠くから様子を眺めていた女の子と、ふと目が合う。 「あっ……」 彼女は俺の顔を見て、軽く驚きの声を上げた。 何処かで遭った記憶は、俺には無かった。 -- 2 -- 今更ながら、噂の力と言うのは凄まじいものなんだと実感する。 一度立てば、信憑性なんてものはどうでも良くて 好奇心の赴くまま、様々な形の尾ひれが付いて流れていく。 金曜日の昼休み。 いつものように、西岡と社食で昼食を採っていた。 突然、隣の席に、ランチのセットが乗ったトレーが置かれる。 「よぉ」 相変わらず軽い挨拶をしながら、諏訪が隣に座ってきた。 「お前、相変わらずカレー好きね」 俺の前にあるカレー皿を見ながら、そう笑う。 「いいんだよ。無性に食いたくなる時があるだろう?」 「ああ、オレはインドカレー派だから」 「何だよ、それ」 ごく自然な会話だったけれど、こうやって諏訪と昼に話すのは久しぶりだった。 大体奴は、一人でさっさと食べて出て行くか 女の子たちと、昼休みが終わるギリギリまで談笑しているかのどちらかで こうやって、俺たちの席に来ることは珍しかった。 一言二言交わし、西岡が席を立つ。 「打合せの資料用意してるわ。1時過ぎには出るぞ」 「分かった。すぐ行く」 食べるスピードがやたらと早い西岡は、大抵こんな風に先に出て行く。 いつもなら席で仮眠、と言ったところだ。 「お前さ、ちょっと噂になってるぞ」 食堂を出て行く西岡の背中を見ながら、諏訪が呟いた。 「何が?」 「前の週末、二丁目に居たんだって?」 思わぬ言葉に、体が強張る。 どうしてそんなこと、知っているのか。 「この間の総務の女が見たんだってさ。お前を」 あの時の彼女の驚きは、それだったのかと気付く。 「男と揉めてた、あいつはゲイなのかって、しつこく聞かれたんだよ」 「で、何て答えたんだ?」 「わかんねぇ、って」 「そこは否定しろよ」 思わず語気が荒くなる。 「怒んなよ。図星だと思われるぞ」 今までひた隠しにして来たことが、例え噂であっても吹聴される恐怖。 周りの人間全てが俺のことを、好奇な目で見ているような感覚になる。 冷静さを欠いていることを実感した。 「どうすりゃいい」 「噂なんて、その内、消えて無くなるさ」 こいつは、噂になることに慣れている。 でも、俺はなるべく目立たずに生きて行きたい、常日頃そう思っている。 「一つ問題なのは」 俺を見る諏訪の顔は、いつもの薄笑いが消えていた。 「周りの男に飛び火するってことだろうな」 「どう言う事だよ」 「例えば、西岡とデキてる、とか」 「悪い冗談止めろよ」 「いや、だから例えば、だって」 会社の業態から、実務を請け負う人間は殆どが男だ。 西岡以外にも、共に仕事をする仲間がいる。 俺はまだしも、関係の無い彼らに対して、そんな噂が流れたりしたら。 目の前の事実に、居た堪れなくなる。 「そろそろ行かなくていいのか」 そう声をかけられるまで、どのくらい呆然としていたんだろう。 明らかに様子のおかしい俺に気を遣ったのか、諏訪はこう言った。 「とりあえず、何とかしてみるけどな」 「……頼む」 「事実じゃねぇんなら、笑い飛ばしとけ」 そうだったら、どんなに良いだろう。 俺は、1/3ほど残ったカレーを下膳口に戻し、フロアに戻った。 打合せは、意匠・構造・設備と取り纏めをしているコンサルタントとの合同だったこともあり かなりの長丁場となった。 設計自体の遅れもあり、仮のプランでの概算を求められたりと、前途多難な予感がする。 結局、午後2時から始まった話し合いが終わったのは、夜の6時を回った頃だった。 「今日、直帰でいいよなぁ?」 疲れ顔の西岡が、そう嘆く。 そんな時、タイミング悪く会社から電話が入る。 上司の吉澤課長からだった。 「打合せ、どうだった?」 先行き不透明、と結論付けられた打合せの概要を伝える。 仕方ないな、と笑う課長は、更に言葉を続けた。 「柏木君、今から会社戻って来れる?」 「え……大丈夫ですけど」 俺の表情を見て、西岡の顔まで曇る。 「前に話してた錦糸町の新規案件なんだけど、やっと資料が揃ってね」 ずっと要求してきた資料が上がってきたとなれば、ウダウダ言ってはいられない。 けれど、この案件に関しては、西岡とは違う人間と組むことになっている。 「7時過ぎには戻れると思いますんで」 俺はそう答え、同僚の顔を窺いながら、付け加えた。 「西岡は直帰で良いですよね」 -- 3 -- 会社に戻ると、フロアの人影はまばらだった。 誕生席に座った吉澤課長は、厚いファイルに綴じられた資料をパラパラと眺めている。 「お疲れ。悪いね、週末なのに」 「いえ、今日の資料もあったし、錦糸町の方も頭に入れておきたいんで」 俺はファイルを受け取り、内容の大まかなところの説明を受けた。 建物はチェーン展開しているビジネスホテル。 プランは大体固まっていて、来週には打合せに入りたい言うのが先方の意向だった。 「じゃ、悪いけど、後任せるわ」 「お疲れ様でした」 疲れを忘れるため、自販機できつめの炭酸飲料を買う。 普段はあまり飲まないけれど、こう言う時に飲むと、何故か頭がスッキリする。 席に戻り、改めてファイルの資料を読み進めた。 躯体部分は概ね出来ているようだったが 内装に関しては『ホテル仕様に準ずる』とされているところが多い。 これが何処まで固まってくるかで、こちらの仕事の進み具合も決まる。 とは言え、今日打ち合わせた物件よりは、かなりまともそうだ。 その時、会社の電話が鳴る。 「はい、井川建築積算事務所です」 「よぉ、まだいたか」 諏訪だった。 「どうした?って言うか、私用で外線にかけてくんなよ」 「いやぁ、まぁ、そうなんだけど」 結構飲んでいるのか、ご機嫌な口調だ。 「何時くらいにケリ付きそう?」 「9時には終わるかな」 「じゃ、その頃会社戻るから、ちょっと付き合えよ」 こいつの "付き合え" の店に、良い思い出は一つも無い。 噂のこともあり、正直、付き合いたくない気分だった。 「折角の週末なんだから、女とどっか行ったらどうだ?」 「何だよ、つれない奴だな」 「……分かったよ。一軒だけだぞ」 こうやって折れるから、付け上がられるんだろうか。 仕方ない、と思いながら、電話を切った。 資料に一通り目を通し終わったのは、9時前。 ビルのエントランスで9時に、と言っていた諏訪は、既に待っていた。 しかし、奴の周りには数人の女の子。 例の総務の娘も見えた。 噂の的の登場に、彼女たちは如実に色めき立つ。 俺は怪訝な顔で、近づいてきた諏訪に問いかけた。 「どう言う事だよ?」 「噂ってのはさ、なかなか制御が効かないんだよな。走り始めると」 「は?」 まさに、ニヤリ、と言う笑みを浮かべ、諏訪はオレの顔を両手で掴み おもむろにキスをした。 何が起こっているのか、分からなかった。 女の子たちの悲鳴にも似た嬌声が、遠くに聞こえた。 諏訪の目が、細く歪みながら俺を見つめている。 薄く開いた唇の間からアルコールが揮発して、俺の鼻を刺激する。 我に返るまで、しばらくの時間がかかった。 俺は、力任せに諏訪の体を押し返す。 「な、何、してんだ?!」 動揺が隠し切れなかった。 諏訪は何も答えず、事前と同じ表情で彼女たちの方を振り返る。 「こういうことだからさ、今日は解散ね」 彼女たちもまた、何も答えず、ヤバいものでも見たかのような表情で去っていく。 「ちょっと一服して行こうぜ」 彼女たちを見送りながら、諏訪はそう言って同じ方向へ歩いていく。 会社のビルは全館禁煙で、玄関から少し奥まった中庭に喫煙所が設置されている。 「いや、お前、待てよ」 俺の混乱は収まらない。 「あっちで話す。ここだと目立つ」 飄々とした口調で言い、さっさと歩いていく。 どうしてそんなに、冷静でいられるんだ? 奴が何を考えているのか、俺には分からなかった。 ビル風が、吐いた煙を一瞬で吹き飛ばしていく。 遠くに見える東京タワーを眺めながら、何とか気分を落ち着かせようと努力した。 「これで、お前にかかる火の粉は少なくて済むだろ?」 何と無しに口を開いたのは、諏訪だった。 「俺の噂に信憑性を与えるだけじゃねぇか。お前とデキてるって」 「心配すんな」 乾いた笑い声を上げる。 「お前がゲイだってことよりも、オレがバイだって方が、食いつきも良いし」 噂にする価値は、俺より諏訪の方が上ってことか。 それはそれで、少し複雑な気分だ。 「あいつらは、オレのことだけ話してりゃ良いんだよ」 諏訪は、水が張ってある灰皿に煙草を投げ入れる。 ジュッと言う音と共に、煙が消えた。 「ところで」 次の煙草を取り出しながら、奴は俺の方を見る。 「お前、本当にゲイなの?」 この展開で、聞かれないはずは無い質問だったけれど 予期していたとは言え、最良と思われる答えは持っていなかった。 -- 4 -- うろたえて、言葉の出ない俺を見ていれば、誰にでも察しが付く。 何か言っても、何も言わなくても、恐らく同じ結論に達するんだろう。 ただ、今まで、周りの誰にも言った事が無いことを口にするのには それ相応の勇気が必要であることを実感した。 黙って俺の様子を見ていた諏訪は、大きなため息と共に煙を吐き出す。 「じゃ、オレの行動は間違ってなかったな」 俺の指の間で、すっかり火の消えてしまった煙草を取り上げる。 「オレは、良いんだよ。事実と違うことを、面白おかしく言われるだけだから」 そう言いながら、奴は自身の煙草の箱を差し出してくる。 好意に甘えて、1本取り出し、火をつける。 煙草を持つ手の震えが、止まらなかった。 「でも、お前は事実を茶化されて、言い触らされる。耐えらんなくて、当然だ」 気が付かないうちに、貰った煙草もフィルターまで燃え尽き、火が消えていた。 吸殻を捨てようと灰皿に伸ばした腕を、諏訪の手が捉える。 「どうした?」 勢い良く引っ張られ、前のめり気味に奴の体にぶつかった。 顎に手を添えられ、上を向かされる格好になる。 異常な雰囲気に、背筋が寒くなった。 「おい、やめろよ」 腕を振り払おうとする俺を、そうさせまいと力を込めてくる。 「何だよ、男にも目覚めたか?」 自虐的に、そんなことを言ってみるが、あまり効果は無かった。 「……いいから黙ってろ」 「バカじゃねぇの?」 「そうかもな」 そして、俺は再び諏訪に唇を奪われた。 唇が重なり、しばらくすると、奴の舌が俺の口の中に入ってくる。 呼吸の仕方が途端に分からなくなり、少しえずく。 その様子を見て、諏訪の目は愉快そうに細くなった。 顎にあった手は頭の後ろに回り、舌は口の中程にまで達してくる。 程なく、鼻で息をすれば楽になることに気が付いたが 動き回る舌に対してどう対処すれば良いのか、頭の中は次の難題に迫られていた。 とりあえず、想像に頼り、ぎこちなく舌を絡ませて行く。 緩急をつけて動く舌に、口の中は蹂躙され、時折その隙間から音が漏れる。 口の端から僅かな唾液が漏れてくるのに気が付く頃、やっと解放された。 奴は、俺の口の端を舐めた後、顔を近づけたままで言う。 「続きしようぜ、柏木」 今まで、セックスはおろか、キスすら、男との経験は無かった。 男と無いということは、要するに、人生で一度も経験したことが無いと言うことで よりにもよって、初めてのキスの相手がこのプレイボーイだと言うことになる。 しかも、こいつはゲイでもバイでも無いはずだ。 もちろん、俺の方も、奴に特別な感情を持ったことは一度も無い。 さっきまで親身になってくれていたかと思えば、この豹変振りは何だ? 俺は腕を振り払い、諏訪から離れる。 「何言ってんだよ?」 少し息苦しさが残り、顔が熱を帯びているのを感じていた。 「普通に女とやっとけよ」 「お前は、男の方が良いんだろ?」 「いや、つーか、どうした?」 目が笑っていない諏訪の表情に、恐怖すら感じる。 「お前、男とやったこと、無いの?」 「……ねーよ」 「キスも?」 「何なんだよ」 「道理で下手な訳だ。中学生並みだな」 失礼な奴だ、そう思っていると、ネクタイを掴まれ、また顔が近づいてくる。 「オレが教えてやるよ」 「だから、どうしてそうなるんだって」 かみ合わない会話に、苛々してくる。 「セックスする目的ってのはな、気持ち良くなることなんだよ」 極論だが、こいつらしい、そう思った。 「愛とか恋とか言ってるから、二の足踏むんだ」 図星を突かれた。 俺が越えられない線の向こうから、こいつは手を引っ張っている。 「……答えになってねぇぞ」 「お前が他の男とやってるとこ想像したら、思いの外、興奮するんだよな」 「はぁ?」 「だから、やらせろ」 あまりにも支離滅裂な理論だ。 唖然とする俺の耳に軽くキスをして、奴は言う。 「オレの家で良いな?」 一つの噂が、俺の人生を大きく動かす。 あの事さえ無ければ、俺はこいつにカミングアウトすることも、抱かれることも 絶対に無かった筈なのに。 -- 5 -- 諏訪の家は、市川にある。 会社の前からタクシーに乗り、無言のまま、過ぎていく車窓を眺める。 隣の奴は何も無いような顔をして、携帯を弄っている。 どうしてこうなったのか、これからどうなるのか、それだけが頭の中を巡る。 初体験の前の女の子の気分って、こんなもんなのかも知れない。 30も近くなった俺にしてみれば、恥ずかしくて、情け無くなる。 「あ、次の信号左で」 そう言う声で、目的地が近いことを知る。 いつか通る道、それが見ず知らずの男相手じゃないことは、幸いなんだろうか。 利害関係のある人間、例えば会社の人間に対して そういった感情を持たないようにコントロールすることは、可能だった。 その後のことを考え、最悪の結果を想定することで、自分の気持ちを萎縮させる。 大学時代から数えれば約10年、そうやって過ごしてきた。 ただ、それを長く続けてきたせいか 利害関係の無い人間に対しても、恋愛感情を持つことに抵抗がある。 俺が誰か好きになることで、相手と、自分を傷つける。 それが、怖かったからだ。 見るからに新しいマンションの5階。 俺の住んでるアパートとは、雲泥の差があった。 同期だから、給料にそれほど差は無いはずなのに、この高級感は何だ。 「お前、住んでるの駒込だろ?多分、家賃的にはそんなに変わらねぇんじゃね?」 「そんなもんかね」 「総武快速なら会社まで1本だし、生活するには何の問題も無いぞ」 しかし、折角の高級な内装も、部屋の乱雑さで帳消しになっている。 「少しは片付けようって意思は無いのか?」 「住めりゃ、良いんだよ」 「これでよく女連れ込めるな」 呆れた風に言う俺に、奴は笑って返す。 「女は連れて来ないよ。帰すの面倒だろ?」 「朝、送ってやりゃ良いじゃん」 「朝まで一緒にいるような女、もうしばらく付き合ってねぇな」 「あっそ……」 「夜は一人で過ごしたい方なんだよ、オレは」 この部屋の惨状を見れば、女も萎えるだろうな、そんな風に思いながら部屋へ入る。 部屋の中で座れる場所は、PCのデスクにある椅子とベッド以外には無かった。 奴が先に椅子に腰をかけたので、必然的に俺はベッドに座るしかない。 カバンを適当に床に置き、煙草に火をつける。 灰皿に貯まった吸殻をゴミ箱に捨てながら、奴は俺に声をかける。 「それ吸い終ったら、シャワー浴びて来い」 何処かで忘れようとしていた、今日の目的を思い出させられる。 「本気なのか?」 「もちろん」 急に緊張感が増して、喉が渇いてくる。 「怖気づいたか?」 「……当たり前だろ」 時間は嫌が応にも過ぎて、俺の煙草は段々短くなっていく。 不安をもみ消すように煙草を灰皿に押し付け、ベッドから立ち上がった。 浴室乾燥機が付いてるマンションに、常々住んでみたいと思っていた。 ユニットバスの天井を見ながら、本気で引っ越しを考える。 シャワーヘッドから降ってくる適温のお湯を頭から浴びながら、自分の貧相な体を眺める。 スポーツジムに行こうと思いながら、なかなか足が向かない。 そんなことからも、自分の意志の弱さを痛感する。 うだうだ考えながら気を紛らわせないと、落ち着かなかった。 扉が軽く叩かれ、俺は我に帰る。 「いい加減に、ふやけるぞ?」 「……ああ、悪い」 どれくらいの時間が経っていたのかは分からなかったが 声をかけてくるくらいだから、相当の間、浴びていたのだろう。 ドアを開けると、バスタオルが投げられる。 入れ替わりに、素っ裸の諏訪が中に入っていく。 「動揺し過ぎ」 体を押し出され、背後でドアが閉まる。 お前が冷静すぎるんだ、そう思いながら体を拭いた。 ベッドに座り、煙草に火をつける。 灰皿には、何本もの吸殻が貯まっていた。 俺がシャワーを浴びている時間は、そんなに長かったんだろうか。 それとも、奴も落ち着かないんだろうか。 程なく、水音が止む。 遂にか、そう思っていても、なかなか踏ん切りはつかない。 -- 6 -- 「煙草、消せ」 諏訪は、部屋に入ってくるなり言った。 黙って煙草を消すと同時に、部屋の電気が消される。 思った以上に部屋は暗くなった。 目を慣らそうとする間もなく、俺はベッドに押し倒され 諏訪の身体の重さと体温をダイレクトに感じた。 「なっ……」 「心の準備なんかさせてたら、いつまで経っても始まらないからな」 確かにそうかも知れない、そう思っていると、俺の口は唇で塞がれ 前触れも無く舌が入って来た。 しばらくされるがままになっていると、一旦口が離れていく。 「もっと、舌、絡ませて来いよ」 そう言って、再び俺の舌を舐りにかかる。 暗い部屋に、互いの息遣いと、舌の絡む音が響く。 視界がままならない中で、その音は俺の気分を徐々に高揚させていく。 長いディープキスが終わり、奴の舌は首筋へ降りて来た。 肩にかけて舌が這い、慣れない感覚に身体がびくつく。 右手は首から鎖骨を滑り、胸へ伸びて行き、やがて指が乳首を捉える。 喉の奥から、小さな呻き声が出た。 指の動きが止まったかと思うと、人差し指と中指が口の中へ入ってくる。 「しゃぶって」 意図を汲むことも無く、指を咥え、しゃぶる。 奴の舌は、もう一方の乳首を舐めあげた。 吐く息が大きくなる。 口から抜かれた自分の唾液で濡れた指が、再度乳首へ戻り、柔らかい刺激を与えてくる。 妙な感覚に、身を捩る。 「なかなか、良い反応だな」 諏訪は鼻で笑う。 他人に快感を与えられると言う初めての経験。 緊張で硬直した身体が、その感覚に溶かされていくのが分かる。 諏訪の手と頭が、徐々に下半身へと移動する。 腹やヘソの辺りに湿ったものを感じ、どうにもくすぐったい。 左足の膝裏辺りに手が入ってきて、膝を立てるよう促してくる。 空気に触れる形になった太ももをゆっくりと擦られ、腰が僅かに浮いた。 その手はトランクスの裾から、尻の方まで入ってくる。 腕を枕の下に入れ、顔を埋める様にして行為を受け容れている俺に 奴は冷静な口調で話しかけてきた。 「案外、毛、薄いなぁ」 「普通、だろ」 普通がどの程度なのかは分からなかったけれど 手の動きは止まっていないから、声は絶え絶えになる。 そうこうしている内に、唯一身に纏っていた物が引き摺り下ろされる。 篭っていた熱が一気に蒸散されたのか、少し寒くなった。 諏訪の顔が、俺の顔の側に寄ってくる。 枕に半分埋もれた顔に唇が触れ、上を向くように促される。 目が慣れてきて、諏訪の顔もおぼろげに見えるようになっていた。 こういう状況だからなのか、奴の表情はいつもとは違って見える。 手が俺のモノを根元から撫でて来た。 良く知った刺激を感じて、眉間に皺が寄り、鼻から深い息が出る。 「案外、でかいな」 その声から、さっきほどの冷静さは感じられず 俺も、その言葉に何かを返す余裕は無かった。 「舌、出せ」 下半身から上がってくる快感に押されるように、舌を口から突き出し、絡ませる。 自分の身体が奴の思いのままにされていることに、俺は興奮を覚えた。 モノを扱く手の動きは、徐々に早くなる。 乳首が舌で刺激され、出る声が抑えられなくなってきた。 自分の左腕で口を押さえ、漏れ出無いようにしていると その腕が掴まれ、頭上に押さえつけられる。 「もっと……声、聞かせろよ」 耳元で囁かれる、初めて聞く諏訪の興奮した声。 聴覚からの刺激が、理性を飛ばす。 身体が震える。 限界が近いことを感じていた。 「諏、訪……もう……」 奴は腕から手を離し、俺の頭を胸の辺りに抱え込む。 それを合図としたように、刺激は更に強くなる。 間を置かず、一気に絶頂へ上りつめ、俺は果てた。 ドロっとした液体の感触が、腹に広がるのを感じた。 快楽の余韻に浸る俺に、諏訪は優しい表情を見せ、額にキスをする。 「どうよ?他人にイかされるのは」 「……どう、って」 「自分でやるよりは良いだろ?」 薄笑いを浮かべながら、俺の乳首を甘噛みしてくる。 くぐもった声が、喉に響いた。 「敏感だな」 「何、言ってんだよ」 指摘は当たっていると思う。 今日まで知らなかった自分の身体の感性を、奴の手で呼び起こされた気分だった。 モノを扱いてイく、過程は同じだったとしても それが他人の手によってなされるという状況が、何倍も快感を増幅させてくれる。 -- 7 -- これだけ暗い中でも、自分の部屋の中のことは分かるものだろうか。 諏訪は、部屋の何処かにあったであろうティッシュを取り 俺の腹に広がった精液を拭き取って行く。 ベッドに腰掛けた諏訪は、俺の手を取り、自らのモノに触らせる。 ボクサーブリーフの外からでも、既に大きくなっていることは明らかだった。 「口か、ケツか。どうする」 二択かよ、と思いながら、後者の選択肢を選ぶには、まだ抵抗があった。 奴なら、黙っていれば、中に入れてくることを望んでくるだろう。 俺はベッドから降り、奴の前に正座する格好になった。 他人のモノを、こんなに間近に見ることは初めてで これから自分がする行為に対して、軽く不安を覚えてくる。 「ケツは抵抗あるってか」 「……まぁ、な」 前屈みになった奴の顔が、俺に近づいてきた。 顎に指が添えられ、上を向かされる。 「どうせ、初めてだろうから」 些か震える唇を、指が滑る。 「自分がされることを想像して、やってみろよ」 そうは言うけど、俺はするのもされるのも、経験が無い。 PCやTVの画面の向こうでなされている行為を思い出しながら、やるしかなかった。 下着を下ろすと、奴のモノがリアルに現れる。 根元に手を添えて、先端に唇をつける。 想像以上に熱を帯びていた。 脈打つ振動が、唇から感じられた。 諏訪の手が、俺の肩にかかる。 軽く息を吐き出して、硬くなった先端に舌を滑らせた。 何処まで大きくなるもんなんだろう。 自分で思う以上に、思考は冷静だった。 口の中で肥大していくモノを咥えながら、そんなことを考える。 全体が唾液で塗れ、滑りは良くなっていた。 諏訪の身体の動きと声も、徐々に高みに向かっていることを感じさせる。 先端をじっくり舐ると、酸味を帯びた液体が染み出してくる。 奴の身体を、自分が快楽に導いている。 そう考えると、俺の身体の昂りが増して行く。 先を唇で軽く挟みながら、手で扱く。 肩を掴む手に、力が入る。 顔を上げると、快感に歪む奴の顔が目に入った。 俺の視線に気が付くと、奴は口の端を上げ、笑う。 イかせてくれ、と言う意味だと汲んだ。 顎のピリピリとした痛みを抑えつつ、全体を口に含み、動きを早める。 程なく、諏訪の声が部屋に響く。 俺の顔が引き離されると同時に、奴はイった。 諏訪は肩で息をし、余韻を楽しんでいるようだった。 俺の頭に手を乗せて、軽く叩く。 「練習すれば、相当、上手くなるんじゃね?」 「もっと、他の言い方あるだろ」 「何て、言って欲しい訳?」 「……別に」 奴はベッドから立ち上がり、暗がりの中で自分の身体を拭いているようだった。 慣れない動きで色々痛む身体を返し、俺は何となく見えている煙草に手を伸ばす。 煙草の香りが、気分を現実のものへ引き戻していく。 奴が隣に座って来て、俺の指から煙草を奪い、煙を吸い込む。 「気持ち良くなきゃ、イく訳ねぇだろ」 深く煙を吐き出しながら、そう呟いた。 煙草も吸い終わり、闇の中に無言の時間が流れる。 突然、俺の身体は床に押し倒された。 影に包まれた諏訪の表情は、分からなかった。 「お前、オレのこと、好きになれ」 俺の中にも、気持ちの変化が表れていたのは確かだった。 ただ、それを直視しないように必死だった俺は、大きく動揺する。 「な、何で……?」 「他の男にやられるのが、嫌だから」 「嫌って……さっき、他の男との想像して興奮するって言ってただろ」 「それは……想像して、嫉妬するから……興奮するんだ」 嫉妬と言う、諏訪には全く不似合いな言葉に、俺の鼓動は早まった。 「お前、別に、バイじゃないんだろ?」 「そんなの、関係ねぇよ」 「セックスする相手には、困ってねぇじゃん」 「困ってないね」 「なら、何でなんだよ」 向けられた好意を避けるように、言葉を続ける。 自分でどうして良いのか、分からなくなっていた。 近づいてきた顔には、困惑の表情が刻まれていた。 「お前さぁ、誰かに好きだって言ったことある?」 「……無い」 「じゃ、言われたことは?」 小さく首を横に振る俺を見て、奴は一息つく。 「言い方変えるわ」 唇が耳に触れる。 「好きだ」 低く響く声に、背筋が寒くなった。 怯んで声の出ない俺の唇が、乱暴に奪われる。 苦しくて、呻き声が出た。 自制心が無理矢理壊されていくような気がした。 誰かに愛されること、誰かを愛すること、それが俺に許される? 唇が離れていく。 感情が溢れてくるのを抑えきれなかった。 奴の顔を両手で包み、自分から、そっとキスをする。 俺を見る目が、僅かに細くなった。 「また、新しい噂でも焚き付けるか」 「女と?」 「妬ける?」 「別に」 「何だよそれ」 お前が言ったんじゃないか、そう思って笑ってしまう。 憧れと妄想の中にしかなかった恋愛感情に、俺は飲み込まれて行く。 もう、そこに恐怖は無かった。 Copyright 2010 まべちがわ All Rights Reserved.