いつまでもアメリカン。http://foreveramerican.blog89.fc2.com/ --- 黒白-陰-(R18) --- -- 1 -- 財布の中に無造作に突っ込まれた、一枚の白黒写真。 俺の唯一の絆。 桜の木の下で交わした約束は、果たされることが無かった。 それでも、これが、唯一の心の拠り所。 夏の暑い夜。 会社を出て家路についたのは、もう12時を回ろうという時間だった。 電車を乗り継ぎ、やっと自宅の安アパートが見えて来る。 その前に、見慣れない黒塗りの車。 街灯に照らされて不気味に光る物体に、得体の知れない不安を覚えた。 階段を登る途中、その予感が当たっていたことを悟る。 自室から出てくる、一人の男。 奴は俺の顔を見るなり、卑しい笑みを見せて言う。 「お帰りなさい、啓次くん、ってか?」 男に引きずり込まれるよう、部屋の中へ入る。 壁に押し付けられた俺の顔に、人相の悪い顔が近づいてきた。 「金も返さず、女としけ込んでんのか?あ?」 「来週までには……必ず」 「何度目だよ?その台詞。聞き飽きたんだよ」 「今度は……」 目を背ける様に視線を床へ落とした時、気が付いた。 玄関に投げ出された複数の靴。 思わず、部屋の奥へ顔を向ける。 眼前の男は相変わらず吐き気のするような顔をしながら、鼻で笑った。 「良い女だよなぁ。お前みたいなクズには、もったいないんだよ」 「彼女に……何を」 「今頃、こんな男と付き合ってるとロクなことが無いって、思い知らされてるんじゃねぇか?」 首根っこを掴まれたままで入った部屋の中の光景は、壮絶だった。 ガムテープで目を塞がれ、手を縛られた彼女が、ベッドの上で男に乗られて身を捩っていた。 もう一人の男は、その頭を掴んだまま、腰を振っている。 「ちょ、何すんだよ?!」 一気に上った感情を鎮めたのは、背後の男の腕だった。 首を周るように巻きついた腕が、首元を締め付ける。 「想像もしなかったのか?こんな日が来るって」 しなかった訳じゃ無い。 ただ、タカを括っていたのは確かだった。 自分の身勝手な行為で、大切な人が傷つけられていく。 悔しさと憤りで、おかしくなりそうだった。 「風呂に持って行けそうか?」 苦しさで声の出ない俺を尻目に、奴らは愉快そうに話し始める。 「ああ、良いんじゃね?まだ、若いしな」 自らの欲求を、彼女の口の中で満たそうとしている男が笑う。 「これ……中に出しても、良いのか?」 「孕んだら面倒だろ。今日はやめとけ」 「でも、ボテ腹もマニアには人気あるぞ?」 「それは金稼がせてからでも、遅くねぇだろ」 最悪な光景から目を閉じて逃げようとする俺に、男が囁く。 「自分の女がよがってる姿見んのは、これで最後なんだから。しっかり見とけよ」 彼女の身体が、男たちの精液で汚されていく。 生気を失ったかのようなか細い身体が、波打つように痙攣していた。 白い液体を垂れ流す口から、何か言葉が発せられることは、無かった。 男の腕から解放された俺の身体は、瞬間床に倒され、そのまま強烈な蹴りを喰らう。 俺を見下ろす男は、胸を踏みつけたまま最終宣告を下す。 「早速明日から、新しい職場だぞ。タコ部屋で、精々男どもに可愛がって貰えよ」 霞む視界から、彼女を抱えた男たちの姿が消えていく。 別れの挨拶も無いまま、彼女の声を聞くことは、もう出来なかった。 つまらない地元の街を出て、東京で就職したのは19の時。 高齢者相手に架空の投資話を持ちかけ、そこから更に会員を紹介させると言う 典型的な詐欺行為を生業としている会社だと知ったのは、入ってすぐだった。 ただ、提示される破格の月給と、世間知らずだった俺には、その善悪の判断が出来なかった。 身の丈に合わない現金を手にすると、人間はおかしくなるのだろう。 孫のようだと言ってくれる顧客をじわじわ苦しめている間、俺は金で欲求を満たし続けた。 そんな時間も、当然のように終わりが来る。 就職して2年半ほど経った時、会社が詐欺罪で摘発された。 証拠隠滅の代わりなのか、その直前、営業部隊の殆どが解雇され、俺も放り出された。 唸るほどあった金は、使い尽くし、手元には殆ど残っていない。 何とか滑り込んだ今の会社では、前の会社の1/8程度の月給。 下っ端プログラマーとして、何とか仕事ができるまでにはなってきたけれど、早々昇給は望めない。 無い袖は振れないと頭では分かってても、我慢できなかった。 サラ金から闇金へ手を出してさえも、浪費癖は直らなかった。 一種の病気なのかも知れない。 そんな甘いことを考えていた俺を、立ち直らせてくれようとしたのが彼女だった。 同じ会社の事務の女の子。 だから、俺の収入くらいは把握できていたのだろう。 異常な金遣いを見て、事あるごとに諭してくれた。 自転車操業だった借金返済の計画も立て、二人で頑張ろうと、言ってくれた。 しかし、積み重なった借金は500万を超え、利子だけでも精一杯な状態。 せめて任意整理を、と考えていた矢先だった。 全て、自分が撒いた種。 分かっていても尚、再び全てを失った自分を受け入れることが、出来なかった。 -- 2 -- 大き目のバッグ一つで放り込まれたのは、二段ベッドが両側に一つずつある狭い部屋だった。 換気などは全くされておらず、壁紙はおぞましいほどに黄色く変色していた。 既に先客が2人いるようで、右側のベッドは上下段とも人が使っている形跡がある。 左側の上段に荷物を置くと、背後の男は言った。 「ま、あんたの残額なら7、8年ってとこか?まだまだ、人生やり直せるんじゃね?」 借金取りの男から俺の身柄を引き受けた派遣会社の社員は、口角を上げて蔑視を向ける。 「それまでに、身体壊すなよ?働き扶持が無きゃ、オレらも困るからさ」 薄汚れた絨毯の上に立ち尽くしたまま、俺は男が出て行くのを見ていた。 朽ちかけた天井を、硬いベッドの上で眺める。 部屋の中が闇に包まれるまで、そんな時間を過ごしていた。 ゴツゴツと廊下を歩く足音が聞こえ、不意にドアが開く。 電気を点けて俺の存在を認めた部屋の主は、一瞥しただけで、何も言わずに向かいのベッドに身を沈める。 続いて入ってきたもう一人は、俺をしばらく凝視した後、人懐っこい顔を見せた。 「今日からの、人?」 「ああ……宜しく」 「オレ、アキ。アニキは?」 「俺は、那須」 「ナス?」 「そいつ、頭イカれてっから、喋るだけ無駄だ」 先に入ってきた男が、ベッドの上で体勢を変え、俺に視線を送る。 「結構若いじゃん。こいつがダメになったら、ケツ貸せよ?」 気だるい喘ぎ声と、身体がぶつかる音。 床の上で行われている行為を、耳から強制的に知らされる。 特に会話も無いことだけが、唯一の救いだろうか。 イカれた男の声が徐々に大きくなり、腰を振っているであろう男の太い呻きが聞こえ始める。 3分もしないうちに、一方の男は絶頂に達したようだった。 「あんたもやるか?中出しし放題だぜ?」 昂りを隠さない声を俺に浴びせ、彼は再び床に付く。 ベッドの下に視線を向けると、下半身を露わにした若い男が、半ば放心状態で自分のモノを弄っていた。 異常な日常。 それが続くくらいなら、いっそ、死んだ方がマシなのかも知れない。 地方にある自動車部品の工場。 自動車のボディやトランスミッターに使う何種類かの部品を製造している。 担当するラインはひと月ごと、24時間3交代の勤務シフトは2週間ごとに入れ替わる。 まるでサウナのような工場内では、そこかしこに置かれた塩と、腰から下げた水筒だけが命綱。 吹き出る汗を拭う暇も無く、次々と流れてくる部品に向かう。 機械同然。 そこには、人間としての尊厳は、殆ど存在しなかった。 幸か不幸か、同居人とのシフトはしばらく噛み合わず、顔を合わせることもあまり無かった。 朝番から戻って来た夕方。 疲れてベッドに横になると、すぐに睡魔が襲ってきた。 そのまどろみを打ち破る、激しいノック音。 俺の返答を待たず、ドアが開く。 入ってきたのは、同じラインで働いている男だった。 「アキ、いねぇの?」 「今週は夜番」 「何だよ、たまにはケツで抜こうと思ったのに」 「あんたも、あいつとやってんの?」 嫌悪感を丸出しにし、顔をしかめた俺を、彼は何故か不思議そうな顔で見た。 「穴なんて、男も女も変わんねぇよ。シコって、抜けりゃ良いだけなんだから」 「でも、男同士だろ?」 「あんたはまだ入って日が浅いからな。……3ヶ月も経ちゃ、そんな考え意味無いって分かるさ」 ここに来て変わったことと言えば、止めていたタバコを吸い出したことと、髭を生やし始めたこと。 さっきの男や、同室の男が特別じゃないことは、シフトに入るようになってすぐ悟った。 保身の為にまず何が出来るか、短絡的な思考で辿り着いた答だった。 どんな奴がターゲットになるか、顔やスタイルは全く関係無い。 もっとも求められているものは、若さ。 その点で考えると、俺はかなり不利な立場にいた。 身を持ち崩すには、まだ若い年齢だったからだ。 弱点を見せないよう気を張る毎日。 肉体的にも、精神的にも、地獄のようだった。 男の喘ぎ声に、浅い眠りを覚まされることにも慣れてきた。 同室の男の名前が南であるという事を知ったのは、1ヶ月も過ぎてからだった。 その頃には、周りのことに興味を持つことも無く、自分が抱える借金のことを考えることも無く ただ、やってくる明日を待つ、それだけの毎日になっていた。 勤務シフトがアキと同じ深夜番になった週。 部屋の前まで来ると、中から騒がしい音と声が聞こえてきた。 南は朝番だから、もういないはずだった。 ドアを開けると、狭い部屋に数人の男がひしめいている。 その中央で、前後から挟まれるように四つん這いになっている若い男。 「ああ、邪魔してるよ」 その中の一人が俺の存在に気が付いたのか、そう声をかけてくる。 どうでも良い、そんな軽い視線を返し、俺は自分の寝床に戻った。 奴らの性欲発散の行為は、南とは随分と違った。 「ほら、もっと喉絞めろよ」 「締まり悪ぃなぁ。掘られ過ぎてガバガバになっちまってるんじゃねぇのか?」 「もっとよがれよ。雰囲気出ねぇだろ」 まるで女を犯すかのような辱めの言葉を並べ、男を輪姦していく。 受け入れる彼は、あくまで従順に、その命令に従っているようだった。 -- 3 -- いつも聞かされる声よりも、苦しげで辛そうだったのは、きっと気のせいじゃなかったんだろう。 男たちが部屋を去っていったのは、日も高くなってからだった。 騒がしさで眠れる訳も無く、うつらうつらしていた俺は、ベッドの下を覗き込んだ。 床の上には、白い液体に塗れた男が倒れている。 肩で息をし、全身を震わせながら、虚ろな視線を宙に浮かせていた。 「大丈夫か?」 その問に、反応は無かった。 「おい」 大きめの声で呼びかけると、驚いたようにビクンと身体が跳ねる。 「あ……」 「平気か?」 「あ……オレ、は、大丈夫」 「風呂、入ってきた方が良いんじゃねぇか?」 「うん……そう、する」 彼はよろよろと立ち上がり、散乱している衣服を拾い上げる。 どっかからくすねて来たトイレットペーパーで申し訳程度に身体を拭くと、彼の視線が俺に向いた。 「アニキは、良いの?」 「何が?」 「オレと、やんなくて」 「お前、さっき散々やられただろ?」 「まだ、やれるよ?」 前髪にまで陵辱の跡をつけたまま、能天気な笑顔を見せる。 確かに、こいつはイカれてる。 「良いから、さっさと風呂入れよ。臭せぇんだよ」 誰かと会話をするというのは、気分を少し落ち着かせてくれるんだろうか。 偶然にも同じシフトが重なることが続き、アキと話す時間も多くなっていた。 「オレ、15から、ここにいる」 「まだ、子供じゃねぇか」 「よく、分かんないけど。オヤジが、ここで、働けって」 最悪な親だ。 まぁ、俺の母親も、子供を捨てた大概な女だったが。 「だから、アニキは……本当の、兄貴みたいで、すげぇ嬉しいんだ」 「お前、兄貴いるのか?」 「いる。優しい、兄貴。いつも、オヤジから、守ってくれてた」 彼のことを知るにつれ、玩具の様に扱われる彼の身体に、徐々に同情が芽生えてくる。 ベッドの下から聞こえてくる喘ぎ声が、悲鳴のように聞こえる。 けれど、手を差し伸べることが自分を不利な立場に置くことも分かっていた。 あくまで無関心を装いながら、罪悪感を払拭しようと必死だった。 ある日の夕方、アキの身体を求めて、一人の男がやってくる。 直前まで見せていた笑みを隠し、彼はベッドを降りて男の前に立つ。 「そこ、仰向けで横になって」 男が顎で床を指し示すと、それに従い身を倒す。 俺はその状況から目を逸らし、休みの日に買ってきた本を開いた。 程なく、苦しげな声が聞こえてくる。 「ほら、もっと喉開けて。奥まで入んないよ?」 些か興奮した男の声が、不快感を増長させていく。 搾り出すような呻き声が、延々と続いた。 「口に突っ込まれて勃つなんて、噂どおりの変態なんだねぇ」 悲鳴は段々大きくなる。 本に書かれた文言なんて、頭に入って来る訳が無かった。 目を下に向けると、アキの顔の上に跨る男の後姿が見えた。 「……苦しがってんじゃん」 官能的な行為を邪魔されたからだろうか、俺に向けられた視線は鋭かった。 彼は、下になっている男の口からいきり立ったモノを抜き取り、立ち上がる。 「じゃ、あんたが代わりにやってくれんの?」 「それは……」 「分かってる?一回でも受け入れれば、ここにいる限り、上にも下にも突っ込まれ続けるって」 その手が俺の胸倉を掴み、柵の外へと引きずり出そうとする。 「きたねぇ男のチンポ、しゃぶる覚悟があるかっつってんだよ」 「オレ……オレの、口、使って」 言葉を失った俺を救ってくれたのは、俺のことを兄貴と慕ってくれる男だった。 目の前の男は、冷笑を浮かべながら囁く。 「あんた、こいつがいなかったら、間違いなく床でよがってるぞ?」 男は再び、口にモノを押し込み、腰を振り始める。 苦しげに眉間に皺を寄せたまま閉じられた目から、涙が落ちるのが見えた。 俺は、彼の兄貴にはなれない。 なす術も無く、人を見殺しにしていく気分。 あの夜、味わわされたものと、同じだった。 -- 4 -- 男の精液を喉に詰まらせたのか、咽るアキの姿を見下ろしながら、奴は部屋を出て行った。 ベッドを降りて、その背中を擦る。 震える背中は酷く痩せていて、触る度に骨の感触が掌に残った。 落ち着いてきた彼がまず発したのは、俺への警告だった。 「アニキ、あんなこと、言っちゃ、ダメだよ」 振り向いた顔には、寂しげな笑みが浮かんでいた。 「こんなの、オレ、だけで、良いんだ」 「……良い訳、ねぇだろ?」 「良いんだ。オレ、男とやるの、嫌いじゃない、から」 そう言って、彼は立ち上がる。 「顔、洗って来る。そろそろ、時間、だよね?」 しばらくアキと顔を合わせないシフトになったことに、俺は少し安堵の気持ちを持っていた。 もう、見て見ぬ振りをすることは、出来なくなっていた。 彼のことを、弟のような感覚で捕らえ始めていたのかも知れない。 誰もいない部屋で、一枚の写真を眺める。 満開の桜の木の下にいる兄弟は、何処か緊張したような笑みを浮かべている。 小学生の頃、俺たちは養護施設に預けられた。 兄貴は俺とは違い、頭の出来が良かったこともあり、大学進学と共に施設を出て行った。 写真を撮ったのは兄貴が出て行く直前だったと思う。 施設の長の趣味で、写真は何故か白黒。 ずっと財布の中に入れていたこともあり、まるで時代を遡ったような見た目になっている。 あれから、兄貴と連絡を取ることは無かった。 今は弁護士になったとの噂も聞いたが、それだけだ。 きっと向こうは、自分の弟がどんな状態になっているかなんて、興味も無いだろう。 それでも俺は、この写真を眺める度に、何処か心が落ち着く気がした。 昼番シフトだった、冬の初め。 その日は、親会社の社員が視察に来るとのお達しが出ていて 私語厳禁、服装の乱れも無いようにとの上辺だけの対策を講じつつ、作業に励んでいた。 作業をするラインの向こうで、その集団が立ち止まる。 「那須くん、ちょっと!」 機械音が響く中、大声で遠くからそう呼んでいるのは、工場の責任者。 隣には、スーツを来た場違いな男が2人立っている。 まさか、解雇? 作業の手を止め、不安を胸に、彼らの元へ駆け寄った。 「君、前職はプログラマーだったんだって?」 社員の一人が、何かの書類を手にしながら問いかけた。 「ええ、そうですが」 「何か、資格は?」 「一応、応用情報技術者を……」 「ああ、良いね」 「あの……どう言う事でしょう?」 元請けの顔を窺うように、工場の責任者が口を開く。 「会社の方で、コンピュータ系の技術者に欠員が出たって言うんだよ」 「正社員を雇うのも、このご時世だからね。経験者で使えそうな人材がいればって思って」 腕利きのプログラマーだった訳じゃ無い。 それでもこれは、地獄から抜け出す為の、ラストチャンスかも知れない。 少し、饒舌になっていたような気がする。 「何系の、構築になるんですか?」 「出来れば、ネットワーク系に強いと良いんだけど、どう?」 「多少経験もありますし、一応参考書も読んでます」 感触は、悪く無さそうだった。 怪訝な顔をした責任者に、社員が問いかける。 「どうかな、彼。こっちで引き受けて大丈夫?」 「え、ええ。もちろん」 「じゃ、早速来月から、本社の方に出社してくれるかな。派遣会社の方には、話通しておくから」 突然差し伸べられた、救いの手。 信じられないほどの嬉しさに、鳥肌が立つ思いだった。 職場が変わっても、身分は派遣会社の派遣社員。 月給が上がる代わりに、ピンハネ分も多くなる。 自ら労せず金が入ってくるチャンスを、会社側も逃す訳は無かった。 住居も単身の寮を用意すると言い、身支度用の特別手当まで出してくれるという待遇っぷり。 そこまでの期待に応えられるのかどうかの不安もあったけれど この異常な日常から抜け出せることは、何物にも代え難かった。 「アニキ、今日で、最後……だよね」 久しぶりにアキと同じ昼番のシフトになった、工場勤務最後の日。 彼は、向かいのベッドの上で寂しげな視線を俺に向けた。 一つの気がかり。 それが、彼を残してここを去ることだった。 「寂しいな」 「一緒に……来るか?」 俺の言葉に一瞬明るい笑顔を見せた後、彼は目を伏せた。 「行けない。オレを、必要と、してくれる人たちが、いるから」 「必要って……性欲満たしに来るだけだろ?」 「それでも、求められることが、嬉しいから」 伏せられていた目が、俺の方に向き返る。 「アニキは、オレを、必要と、してくれないでしょ?」 -- 5 -- どんなに心の中で必要だと思っていても、伝わらなければ意味が無い。 そして、恐らく彼には、言葉だけでも伝わらないのかも知れない。 あれだけ嫌悪感を抱いた行為が、頭を過ぎる。 「……こっち、来いよ」 ベッドを降り、再びベッドに登る。 狭い寝床の中に、彼が入ってきた。 痩せ細った身体を、腕に抱く。 少し熱を帯びた肩は、微かに震えていた。 「オレね」 「ん?」 「アニキに、必要として、貰いたい」 「してる、さ」 肩に手を添えて、少し身体を離す。 不安げに揺れる唇に、自分の唇を重ねた。 男とのキス、と言うよりも、守りたい、愛しい人間との交接。 柔らかい感触が、心に沁みた。 「アキ、俺を、気持ち良くしてくれるか?」 ベッドに横になる彼の頭が、胡坐をかく俺の股間に沈み込む。 スウェットの上から手で軽く擦られると、もどかしい感覚に襲われた。 やがて外に出されたモノに、彼の舌が滑っていく。 しばらくぶりに味わう、他人からもたらされる刺激。 ゆっくりと丁寧な快感が、全身を強張らせる。 徐々に激しくなる水音が、互いを昂らせていくようだった。 そばで蠢く身体に、手を伸ばす。 脇腹から腰を辿り、下半身へ手を差し入れた。 ビクンと身体が跳ね、くぐもった声が喉の奥から漏れる。 上目遣いで俺を見上げる表情が、堪らなかった。 「俺ばっかりじゃ、ずるい、だろ?」 サイズの合っていないジャージの上から伝わる感触が、俄かに硬さを帯びていく。 眉間に皺を寄せながら、彼は自らに与えられる快楽に身体を震わせる。 壁に身を任せ、彼の行為を受け入れる。 荒い息遣いと、自制が効かない喘ぎ声が部屋に響く。 俺の手の中にあるモノは、完全に興奮した状態にあった。 粘液に塗れた先端を親指で転がすと、それに呼応するよう、彼の舌が俺のカリを舐る。 扱く手を速めると、彼の頭の動きも激しくなっていく。 快感に支配された頭の中が、急な速さで灰色に曇る。 「あ、き……イく」 その瞬間、俺は絶頂を迎えた。 口の中を満たした液体を、彼は目を閉じて喉の奥へ追いやる。 満足げに微笑みながら、柔らかくなったモノを、名残惜しそうに舐め始めた。 動きが止まってしまった俺の手の上に、その手を添え、ゆっくりと動かす。 自由になった口からは、快楽に溺れる声が溢れてくる。 「あ……アニ、キ」 「ん?」 「オレの、こと、好き?」 「……当たり前、だろ」 「オレも、だい、すき」 悶えながら笑う彼は、身体を強張らせ、果てた。 単身寮と言っても、狭いスペースにベッドと簡易デスクが備え付けられただけの部屋。 それでも、自分だけの空間を得られると言うのは、気分的に大きく違った。 勤務時間も基本9時から6時と言う、通常の会社のサイクル。 残業は多かったけれど、肉体労働では無い分、疲労の蓄積も小さい。 久しぶりのキーボードの感触が、心地良かった。 「アニキ、お帰り」 アキが昼番の時には、翌朝まで一緒に時間を過ごす。 会えない期間は、彼が男たちの慰み者になっているだろうことに、心が締め付けられそうになった。 それを振り払うよう、細い身体を抱き締める。 「……苦しい、よ」 「いつか、一緒に、住むか」 「うん、うん。……楽しみ、だな」 「助けて、啓次、助けて……」 悪夢で目が覚める。 プログラマーとして働き始め、ネットワークの構築にも慣れて来始めた頃。 生活もやや安定し、借金の額も目に見えて減ってきた。 精神的に落ち着いて来たからだろうか。 男を腕に抱かない夜、あの日に置き去りにしてしまった、忘れたい過去が思い返されるようになった。 俺が日常を過ごす中、彼女はどんな現実を見せつけられているのか。 それでも、彼女を探す手立ては、俺には無い。 自分が犯した罪は、きっと一生、償うことが出来ないんだろう。 恋い慕ってくれる男と人生をやり直すなんて、許されないのかも知れない。 弟の手を取り、下ろせない十字架を背負って歩く足取りは、とてつもなく重かった。 Copyright 2011 まべちがわ All Rights Reserved.