いつまでもアメリカン。http://foreveramerican.blog89.fc2.com/ --- 羨慕(R18) --- -- 1 -- 「まだ、眠い?」 「ん……そんなこと、無いけど」 洗いざらしの髪が、頬を冷やす。 紅を落とした唇が、瞼の上を撫でていく。 「ごめんね、いつも、こんな時間しか会えなくて」 日曜日の朝7時。 会える時間は、毎週、そこからの24時間だけ。 待ち侘びた機会にしがみつくよう、ベッドに横たわる身体を抱き締めた。 小さなバーを切り盛りする彼と出会ったのは、客として訪れた半年前。 薄い化粧に黒いドレスをまとった彼は、カウンターの向こうで俺を出迎えてくれた。 「あら、初めてのお客さん?ゆっくりしていってね」 バーテンダーも、店を彩るホステスたちも、全て男。 ゲイバーとも、ニューハーフバーとも言えない形態のその店は、何処と無く居心地が良くて 足繁く通う内に、段々彼に心惹かれて行く様になっていった。 俺よりも10歳くらい年上の彼は、化粧はしているものの、身体は男のまま。 華奢で中性的な顔つきからか、目元を少し整形したくらいでも十分綺麗に見える。 自分の性指向が、よく分からない。 子供の頃は、確かに女の子が好きだった。 おかしいと思い始めたのは、高校生の頃。 よく遊んでいた友人のスキンシップを、素直に受け入れられなくなった時だ。 後ろから抱き付かれただけの行為が、何故か下半身の昂りを呼んで、冷や汗が出たのを覚えている。 何か特別な感情があった訳じゃ、無かったと思う。 俺自身の身体が求めているのは、あくまでも女。 それなのに、あれ以来、男との関係を求める気持ちが心の奥底で燻り続けている。 結局今まで、俺は誰とも恋愛関係に陥ることの無いまま、時間を過ごして来た。 立ち位置が不確かな、節操の無い感情。 嫌で嫌で、仕方が無い。 この店に足を運んだのも、何か助けが欲しかったから、かも知れない。 「バイセクシュアルであることは、何も悪いことじゃないでしょ?」 カウンターの向こうから、薄めの水割りを差し出しながら、彼は優しくそう言った。 「相手が男でも、女でも、好きって感情を、素直に受け入れれば良いじゃない」 「でも、何か、誰も好きになっちゃいけない、みたいな強迫観念があって」 「どうして?」 「相手に悪いような、気がするから。傷つけるんじゃないかって」 「傷つかない恋なんて、無いのよ。どんなに幸せだって、細かな傷は付いていくの」 幸せな恋愛、そんなものに憧れるような時期はとっくに過ぎてしまったのに 満たされることの無かった感情が、今になって飢えに苦しんでいる。 「よく、玉砕覚悟、って言うじゃない?あの言葉、素敵だと思わない?」 「え?」 「貴方が怖いのは、自分が傷つくことなんじゃないかしら?」 縋る手を振り解くような一言。 それが、何故か、嬉しかった。 「恵さん」 「何?」 「俺と、付き合って」 一瞬驚いたような顔をした彼は、首を傾げて目を細める。 「私が傷ついても、良いの?」 「その時は、俺も一緒に、傷つくから」 こう言った商売のことはよく分からないけれど、当然、いろんな客に巡り合わせるはずだ。 しつこく口説かれることだって、あるんだろう。 それでも、彼は俺の手を取ってくれた。 咄嗟に言葉が口から出た時は、正直、おぼろげな感情だったけれど 短い逢瀬を繰り返す内に、それは、しっかりと形になって浮かんでくるようになってきた。 髭の面影も無い細い顎に、指を滑らせる。 「化粧取ったら、ただのおじさんでしょ?」 「恵さんは、女に、なりたいの?」 「どうかしら。そう言う訳でも無いけど、男にも戻りたくない、そんなところね」 「俺と一緒にいる時は、どっち?」 俺を見つめる目が細くなり、その唇が耳元へ沈む。 「匠くんは、どっちが良いの?」 「……そのままの、恵さんが良いな」 彼の手が、俺の首筋から頬へと上がっていく。 吸い込まれるように、唇が触れ合った。 柔和な彼の表情が、視界を覆う。 薄く開いた隙間を舌でなぞると、舌先に柔らかな感触が纏わり付いて来る。 静かな吐息と、喉を通ってくる小さな声で、俄かに身体が滾って行った。 頭を抱えるように回った腕が、そのまま顎を持ち上げる。 喉仏をじっくりと舐る舌の感触が、肩を震わせた。 逆の手を俺の胸元に添えたまま、彼は俺の顔に舌を這わせていく。 頬骨を唇が包み込み、瞼の窪みが温かい感触に濡らされる。 耳の後ろから耳たぶの方へ回り込むように顔が動くと共に、胸元の指がゆっくりと乳首を弄る。 些細な刺激が、耳にかかる吐息で増長されるようだった。 「……可愛い」 目を閉じて快感を受け入れる俺に、彼はそう囁く。 「俺、そんな、歳じゃ、ないよ?」 「愛しいものは、皆、そう見えるの」 薄い視界の中の唇が、自分の唇に近づいてくる。 柔らかい感触に蓋をされるように口を塞がれたまま、不意に強くなる刺激に耐えた。 「ん……っ」 顎に回されていた手も加わり、両方の乳首が彼の指に翻弄されていく。 口の中に入り込んで来た舌が、奥から漏れる声を掻き出す。 愛しい人から施される快感に、身も心も溶かされる思いだった。 -- 2 -- 彼と付き合うようになってから、店には足を運ばなくなった。 理由はあまりにも単純で、彼が他の男と話しているところを見るのが嫌だったから。 例え仕事だと割り切っていても、嫉妬心は薄まらなかった。 毎日でも会いたい、そう思うけれど、普通のサラリーマンである俺と彼との生活リズムはあまりにも違う。 だからこそ、この時だけは、寝る間を惜しむほどに彼を求める。 下半身へ降りていく彼の手と交叉させるよう、自分の手を彼の身体に伸ばす。 全く毛が生えていない太腿から、足の付け根まで手を上げていくと、やっと男らしい部分が伺えてくる。 「ここは、抜かないんだ?」 「そんなところ、誰にも見せないでしょ?」 「太腿は、見せたりするの?」 フッと笑った彼は、まだ萎れたままのモノを弄ぶように触りながら訊ねる。 「そう言う格好は、嫌い?」 「そうじゃ、無いけど……俺以外に、見せて欲しくない」 好きになればなる程、深くなる嫉妬。 情けない、つまらないと思っていた感情は、やがて、彼への想いの指標となっていく。 彼の手がモノを包み込み、緩やかに撫でる。 少しの息の乱れが、愉悦を呼ぶのか。 「相変わらず、やきもち焼きね」 「ごめ……ん」 楽しげな囁きと共に、徐々に早くなっていく手の動きにつられる様、鼓動が早くなる。 胸元に沈み込む頭を抱えるように手を回すと、その舌が胸を濡らす。 動きを止めていた指が、折檻を欲する突起を再び引っ張り上げた。 縋るように、彼の手に自分の手を添える。 「いやらしい子」 「う、あ……」 望み通りの捻り潰すような動きがもたらす刺激で、背筋が伸びる。 舌に舐られるだけでは耐えられなくなったもどかしさが、自らの指を片方の乳首へ導いていく。 「こんな姿、他の男に見せちゃダメよ?」 「ん……妬いて、くれる?」 「当たり前、でしょ」 滑らかな脚と細い腰の間にある、男の象徴。 いつも微かな混乱を呼び起こされる一瞬。 何処かで女を求めながら、目の前にあるのは、確かに男の身体。 些かハリの出てきたモノに手を添えようとするよりも早く、俺のモノが根元から舐り上げられる。 尻を抱えるように回された手が、足の付け根辺りを撫でる。 下半身の緊張に、上半身のコントロールが奪われ、彼への奉仕がままならない。 指が尻の割れ目を辿って、僅かに玉を突く。 逆の手でモノの根元を扱きながら、舌が先端を愛撫し続ける刺激に、息が荒くなった。 何とか辿り着いた先に、軽くキスをして舌を伸ばす。 俺の昂りに呼応するよう、彼のモノも徐々に硬さを増していく。 彼になされる、しつこいくらいのフェラチオが堪らなく好きだ。 だから、俺も同じように真似てみるけれど、それが上手く行っているのかどうかは分からない。 「ここ、取らない、の?」 「取ったら、匠くんに、可愛がって貰えなく、なるでしょ?」 皺を伸ばすような丁寧な舌使い。 吸い込まれるように口に含まれた先端が、軽く歯を立てられながら舐められる。 快感に意識がおぼつかないまま、忠実に、彼の技を模倣する。 「貴方に、気持ち良くして、貰いたいから……残してるのよ」 男としてしか得られない悦び。 互いの想いが、互いの身体を快楽に飲み込んでいく。 彼の頭の動きに、俺の身体はすっかり囚われていた。 モノを手にしながら、彼の股間に頭を埋めるように身体を縮め、襲い来る絶頂の影に耐える。 腰の辺りの痙攣を察知した彼は、体勢を変え、俺と向かい合わせに身体を横たえた。 「もう、イきそう?」 口の周りを淫らに濡らした彼の顔が、視界を満たす。 俺の手を自らのモノに促しながら、もう片方の手が興奮しきったモノを弄ぶ。 「こんなに、して」 唇の間から舌を出し、俺の舌を誘い出す。 自分の味が混ざる妙な感覚が、変質的な昂りを助長した。 「は、あ……気持ち、いい」 「もっと、気持ち良くなって、良いのよ?」 舌が絡む水音が、モノから染み出る汁の感触と混ざる。 彼と一緒にイきたい。 いつもそう思うのに、結局俺は、彼から与えられる幸せに、一人溺れてしまう。 背筋を駆ける衝動が、一気に突き抜ける。 下腹部に散った生温い精液が、幸福の余韻として纏わりついた。 ヘッドボードに寄りかかるように座る彼のモノを、丁寧に舐めていく。 時折、俺の頭を撫でながら行為を受け入れる彼の顔を見上げる。 紅潮した顔と、吸い込まれそうな潤んだ瞳。 後ろで纏めていた長い髪が少し乱れて、それが淫靡な雰囲気を強調していた。 裏筋を唇で挟んで上下に擦り上げると、彼の口から切なげな吐息が漏れる。 紛うことの無い、男の喘ぎ。 頭から首へと滑る彼の手に、力が入る。 「も……イか、せて?」 その言葉を合図に、先端に吸い付きながら、扱く手の動きを激しくする。 白い脚がベッドの上に伸び、彼の身体の中を快感が走っていく様が見えた。 程なく、絞り出すような声と共に、口に彼の液体が噴き込まれる。 全て飲み込み、軽く咽た俺の背中を、彼は優しく擦ってくれた。 -- 3 -- 月曜日の朝、一週間で最も憂鬱な時。 彼の家で過ごした時を惜しむよう、俺はそのまま職場へ向かう。 一緒に過ごす時間が、もっと欲しい。 そう思って、夜の仕事に転職しようかと考えたこともある。 けれど、その話を聞いた彼は、真っ向から反対した。 「折角積み上げてきた物を壊して、また一から作って行くのは大変なことよ」 今の仕事を始めて5年近く。 いろいろな現場で経験も積み、自信を持って業務に取り組むことが出来ている。 勢いで仕事を変えたとしても、うまくやっていけるかどうか、不安が大きいのも確かだった。 「私の為だけに、人生を踏み違えちゃ、ダメ」 「……恵さんは、今のままで良いの?」 「会える時間は短いけど、その分、濃密な時間が過ごせてると、思ってるから」 言い知れない寂しさで視線を逸らしてしまった俺の顔を、彼の手が包む。 間近に迫る彼の唇が、頬に触れ、軽く唇に重なる。 彼は知っている。 嫉妬深い、子供じみた俺を安心させる魔法の言葉。 「大丈夫、貴方は、私のものよ」 目の前のモニターに映し出される "漏水警報" の文字。 「3階の南側ACMRで漏水警報です」 「機器は?」 「OAF-3-1に付随する加湿器ですね」 「そこって、今、更改工事中か。東海林君、ちょっと、見て来てくれるかな」 郊外にあるデータセンター。 FM業務を請け負う会社から、この現場に派遣されて3ヶ月。 主にビル内の設備一般を監視し、トラブルがあればそれに対処するのが俺の仕事だ。 懐中電灯と工具箱と監視システムの端末を持って、空調機械室へ向かう。 びっしりと養生された狭く長い室内には、空調機が発する騒音と振動が響き合っていた。 俺の存在に気がついたらしい顔馴染みの職人が、大声で声をかけてくる。 「何か、ありました?」 「この加湿器から漏水警報が出てるんですけど」 その言葉に、彼は何処かバツの悪そうな顔をして駆け寄ってきた。 「すみません、さっき、ぶつかった時かも」 空調機の陰の機器を見ると、確かに給水管の継手の部分から水が滴り落ちている。 「すぐ、直すんで」 機器を覗き込む俺を強引に押しのけ、職人は腰から下げた工具で弛んだ部分を締め直す。 床を濡らしている水を拭き取ると、やがて警報は解除された。 「これって……やっぱり、上に報告するんですよね?」 端末を操作する俺の表情を窺うよう、彼はそう訊ねてくる。 「警報が出ちゃうと、誤魔化しようが無いんで」 「何とかなりません?ヘマやったって知られると、マズいんですよ」 「それは分かりますけど……」 繰り返される懇願に溜め息をつきながら、発報原因をヒューマンエラーから経年劣化に書き換えた。 「今回は大事に至らなかったから良いですけど、これから気をつけて下さいね」 この仕事の良いところは、出退勤管理が厳しすぎることだろうか。 8時半始業、17時半終業のスケジュールは、ビル単位で管理されており 申請無しに前後30分を超過すると、持ち場に管理室から電話がかかってくるようになっている。 もちろん、ビルの設備監理は24時間体制で行われているが ウチの会社が請け負っているのは昼勤の時間帯だけ。 ダンピングで安く請けている故、給料もそれなりにしか出ないけれど このご時世、残業も無しに働けるのは相当恵まれていると、同業他社の友人の話を聞くなり思う。 だからなのか、妙に夜が長く感じる。 データセンターが入るビルは工業地帯の真ん中にあり、駅前もかなり寂れた状態。 会社の送迎バスで駅についた後は、各々家路につくだけ。 同じ職場で働く同僚とも、それほど仲を深められないままだ。 寂しさが募る、月曜日の夜。 部屋の中で一人、PCの画面をぼんやりと眺めていた。 何となく開いたのは、老舗のSNS。 昔、登録しただけで殆どログインすることも無く放置していたことを思い出す。 あまりに久しぶりすぎて、全く見覚えの無いトップページ。 その片隅に置かれたバナーをクリックする。 画面に映し出されたのは、生活感溢れる部屋の中で壁を背にして座る、若い男。 カメラ目線の彼は、緊張した面持ちのまま、自らの下半身に手を伸ばす。 瞬間、目を伏せた彼は、拳で唇を押さえながら、ベルトに手をかけた。 本来は、同性のパートナーを見つける為に設置された動画配信のサイト。 それが今では、自らのセックスや自慰の場面を映したもので溢れている。 何処までが素人で、何処からが業者のものか、知る術は殆ど無い。 映っている男たちは、皆、俺と変わらない普通過ぎる男たちだからだ。 動画を見るのにも、配信するのにも、有料会員になる必要がある。 大した値段じゃない。 サンプル動画にまんまと引っかかったのは、疼く身体を鎮める為。 俺は、彼のもの。 『お帰りなさい。お仕事、お疲れ様』 彼から来るメールを掌の中で見ながら、そんな言い訳を繰り返した。 -- 4 -- 羨ましい。 夜、一人悶々と画面を前にする程に沸き上がる歪な欲望。 声も無く、黙々と自らのモノを扱く姿。 大げさに声を上げながら、様々な玩具を使った自慰を見せ付ける姿。 そんな動画に付けられる、同じような性癖を持つ男たちからの露骨なコメント。 誰かと繋がりたかったのかも知れない。 見ているだけでは飽き足らなくなるまで、驚くほど、時間はかからなかった。 ネットに動画を流すなんてリスクは、嫌と言うほど知ってるはずなのに、好奇心が恐怖を薄めていく。 シャワーを浴び、脱いだスーツに再び着替えた。 一部のユーザーから需要があるらしい、スーツ姿での自慰行為。 折角リスクを被るなら、求められている方が良いだろう。 その計算が功を奏すのか想像もつかないけれど、堅苦しい着衣での行為が身体を昂らせるのは確かだった。 顔が映りこまないように、ディスプレイにセットしたWebカメラの位置を調整する。 画面に映る自分の姿に、背徳感が募る。 例え録画しても、ネットにアップロードしなければ、誰にも見られない。 この好奇心が恐怖に打ち負かされたのなら、そのままファイルを消去すれば良いだけだ。 思案を巡らせながら、震える指で、録画ボタンをクリックした。 ネクタイを緩め、ワイシャツの上から胸元を弄っていく。 逆の手を、足の付け根から股間へ滑らせる。 緊張からなのか、体の興奮とは裏腹に、モノへの刺激が脳に響かない。 萎れたままのモノをスラックスの上から撫でながら、シャツのボタンを外し、手を差し入れた。 普段なら有り得ない、素肌に直接感じるワイシャツの生地の感覚が僅かな刺激を呼ぶ。 敏感ね、そう囁く彼の声を思い出しながら、自らの乳首を指で擦る。 その小さな快感が、緊張に堰き止められていた衝動を溢れさせた。 「ん……」 堪え切れなかった声が、カメラのマイクに吸い込まれていく。 一度走り出した欲求を止めることが出来るのは、絶頂だけなんだろう。 徐々に頭をもたげ始めたモノを、服の中から解放する。 ゆっくり扱き出すと、いつもとは質の違う刺激が下半身に纏わり付いて来た。 ネクタイを解き、ワイシャツをはだけさせる。 刺激を待ち侘びる突起を強めに摘むと、身体の中で強烈な快楽が入り混じった。 ぼやける視界に飛び込んでくる、自らの痴態。 強制的に見せ付けられたその姿に、急に気持ちが冷静になる。 何やってるんだ、俺。 冷めた気分で弛む手の動き。 けれど、激化した身体はその心境の変化を赦さなかった。 途端に脳の中を支配する焦燥感。 登りかけた梯子を外すことに、耐えられない。 せめぎ合う二つの感情は、悦楽に手を引かれ、やがて片方に取り込まれていった。 ベルトのバックルが擦れる金属音と、口から絶え間なく漏れる吐息。 頂点だけを追い求める意識が、徐々に白く霞んでいく。 染み出た汁が全体を濡らし、得も言われぬ感覚が背筋を強張らせる。 自らの指に唾液を纏わせ、乳首を焦らすように撫でまわす。 こんな姿を、誰かに見られる。 画面の向こうから伸びる、見知らぬ男たちからの食指。 頭の片隅を巡る度、恥辱が刺激をより一層強くした。 目を閉じて、右手に神経を集中させる。 「……っう」 息苦しさから解放されても尚、波打つ鼓動。 乱れた服装のまま、手の甲を落ちていく精液の感触に酔いしれる。 薄い視界の向こうには、情けない姿のまま呆ける男の姿があった。 動画を編集し、ネットにアップするまでの自分は、信じられないほど冷静だった。 と言うよりも、画面上に表示されたサムネイルを見た時の動揺具合が、そう思わせたのかも知れない。 公開期間は、どんなファイルでも2日半と決められている。 それまでに、何人の人間が、これを観るのか。 居ても立ってもいられず、すぐにブラウザを閉じた。 不意に携帯に着信が入る。 乱れた服装のまま手に取ると、相手は彼だった。 「お客さんがちょっと途切れたから、休憩がてら、声を聞きたくて」 優しい声に、罪悪感が沸き上がる。 ごめん、思わず出そうになる言葉を、慌てて飲み込んだ。 「……俺も、声、聞きたかった」 「良かった」 「早く、会いたい」 「もう少しだから、我慢して。いっぱい、可愛がってあげるから」 官能的な言葉の響きに、発散されたはずの疼きが、身体の奥底で目を覚ます。 「うん……待ってる」 -- 5 -- 『何処に住んでんの?今度、オレと遊ばない?』 『もっと気持ち良いことしてみない?興味あったら、ここにメールして』 『素人スーツもの、超萌えるw』 SNSの管理画面に垂れ流されるコメントの数々。 視聴回数は、二晩で4桁を超えそうな勢い。 閲覧者の絶対数も少ないだろうし、顔も出していなければ、スタイルが特別良い訳でもない。 想像以上の反応に、その理由も分からないまま、読みきれないメッセージを眺めていく。 コメントには、投稿者のIPアドレスが表示されている。 大半は、他の動画のコメントでも良く見る、業者や宣伝。 そのゴミの中に埋もれるよう、同一アドレスの人間が書き込んだと思われる文言が複数あった。 『ぎこちない感じが、逆にいやらしいね』 『乳首、敏感そうだね。じっくり弄ってあげたいな』 『声がMっぽくて、すごいそそられる。もっと聞かせてよ』 ネット上であられもない姿が晒されている事実が、その好奇の言葉で突きつけられる。 見知らぬ誰かに性的視線を向けられることで興奮を覚える自分。 その姿で自らの欲求を発散している男たち。 歪んだ関係性に心まで満たされるような、そんな錯覚に陥っていた。 肌寒い日曜日の朝。 人通りの少ない道を歩き、彼のマンションへ赴く。 玄関で出迎えてくれた彼は、普段とは全く違う趣で、そこに立っていた。 「……どうしたの?」 いつもなら、仕事を終え、シャワーを浴びた素の彼がいるはずだった。 「ごめんね、さっき帰ってきたところなの」 アップにした長い髪の中に、大きなイヤリングが揺れている。 ゆったりとした、けれども大きく肩を露わにした服の下は、タイトなミニスカート。 初めて見る彼の格好に、違和感を持たずにはいられなかった。 「見とれちゃった?たまには、良いでしょ」 彼の腕が首に絡みつき、俺の身体を引き寄せる。 しな垂れかかるように抱きつかれたまま、唇を重ねた。 腰に軽く回した俺の手を、彼の手がその太腿へ促していく。 網タイツのざらついた感触が、嫉妬心を煽る。 「この格好で……お店に出たの?」 「ダメ?」 「ダメじゃ、無いけど」 男からの好奇な視線。 自分の身体はあんなに昂るのに、大切な人がそんなものに晒されるのは、耐えられない。 「妬いてるの?」 「別に……」 脚を撫で、服の中に差し入れようとする手が制される。 「シャワー浴びてから、ね」 リビングに漂う、煙草の残り香。 使ってからそれほど時間が経っていないと思われるバスルーム。 身勝手な妄想が、心を急きたてた。 誰かが、この部屋にいたんだろうか。 俺しか知らない彼を、そいつは見たのか。 彼を信じようとすればするほど、醜い感情が噴き出してくる。 シャワーの湯を幾ら浴びても、洗い流せない。 「バスタオル、ここに置いておくわね」 いつもと変わらない、彼の声。 「……ありがとう」 それすらも、見せかけのものに感じてしまう。 程よい大きさのリビングテーブルに並べられた花やプレゼントの包み。 週末、彼が店で貰う贈り物の数々だ。 掻き分けるように作られたスペースに、コーヒーが置かれる。 カップに口をつける俺の側に立った彼は、おもむろにスマートフォンを弄り出した。 「……誰?」 「ん?別に」 「さっきまで、誰か、いたの?」 「どうして?」 画面に向いていた視線が、ふと俺に移る。 言い知れない雰囲気を口に出すよりも早く、彼は口を開いた。 「ちょっと、面白いもの、教えて貰ったの」 小さな画面に映し出された映像を見て、心まで凍りつく思いだった。 「これ、匠くん、よね?」 どうして、そんな言葉だけが頭の中を巡る。 震える口から、声は出なかった。 背後から近づいて来た唇が、耳を擦りながら囁く。 「こんな姿、他の男に見せちゃダメって、言ったのに」 こめかみに軽くキスをした彼の口調は、酷く落ち着いていた。 「……いけない子」 -- 6 -- 言い訳をする猶予を、彼は与えてくれなかった。 Tシャツの下で未だ熱を帯びている身体を、彼の冷えた手が静かにまさぐっていく。 唇が首筋を這い、頬をくすぐる。 豪奢な装飾のイヤリングが、うなじを小さく刺激した。 呼ばれるように振り向き、唇を重ね合わせる。 狭い隙間から入り込む舌が口を押し広げ、吐息が漏れた。 彼の両手に包み込まれた顔は、視線を外すことを許されない。 「どんなこと考えて、扱いてたの?」 真っ直ぐ向けられる彼の眼差しを受け止めながら、尚、俺は言葉を発することが出来なかった。 「私のこと?それとも……」 その表情が、まるで俺の心を見透かすように、微かに変化を見せる。 「他の男の、醜い顔?」 安心しきっていたのかも知れない。 彼から与えられる愛が、全てを赦してくれると思い込んでいた。 身勝手な寂しさに責任を転嫁して、偽りの姿を見せていたのは俺の方だ。 「こんな感じなのね」 寂しげな呟きが、耳に響く。 「狂うほどの、嫉妬って」 俺が持つ卑しい感情は、当然、彼も同じように持っている。 それが、どうして、分からなかったんだろう。 椅子に座る俺の腰周りから、ベルトが引き抜かれる。 「腕、後ろに回して」 「え?」 ベルトを手にしたまま傍らに立つ彼は、口元に笑みを湛えながら言い放つ。 「私の言うこと、聞けないの?」 手首に革が食い込む感触。 格子状になった背もたれに絡ませながら縛られた手が、身体ばかりか心まで拘束する。 「どう……した、の?」 背後に立った彼は、何も言わず、前屈みの姿勢で俺の身体に腕を回す。 Tシャツがたくし上げられ、上半身が露わになる。 腹から上へと滑る掌の熱が、強張る身体を少しずつ解していくのに反し 肩に軽く乗せられた彼の顔の重みが、緊張の糸を張り詰めさせる。 二本の指が、過敏に反応し始めていた乳首を弾く。 荒い息が鼻から漏れるのを、止められなかった。 「ホントに、感じやすいんだから」 楽しげな呟きに、身体が昂る。 周りを擦りながら、時折爪で引っ掻くような刺激を与えられ、肩が小さく揺れた。 残酷な指が一時離れ、俺の唇を撫でる。 抵抗を試みることも無く、その指に舌を絡めた。 唾液の筋を引き摺る指が、異質な刺激を持って、突起を責める。 身を捩るほどに、快楽が脳に沁みていく。 粘液を絡められた両方の乳首が、柔らかく摘まれる。 得も言われない感触が、喉を震わせた。 「こんなに硬くして……苛めて欲しいって、言ってるみたい」 耳元の囁きが、更なる快感を求める部分を昂らせる。 不意に俺から離れた彼は、目の前にささやかな金属の飾りを揺らした。 「そん、な……」 思わず息を飲む。 「これで挟んだら、もっと可愛い顔、見せてくれる?」 冷たい金具の感触が、乳首の周りを回る。 刺激を待ち侘びる気持ちと、それに抗う気持ち。 うな垂れて首を振る仕草が、何の意味も持たないことを、彼の手の動きで悟った。 小さなネジが締め付けられていく度に、呻き声が唇を振るわせる。 やがて双方の胸に下げられたイヤリングが、彼の指によって小さな金属音を立てた。 「気持ち良い?」 激しい痛みに混ざる快感に囚われる身体。 そんな異常な性癖を認めるのが、怖い。 「私の前では、素直になって」 引っ張られた乳首の痛みが、背中まで突き抜ける。 「ん、っう」 声が漏れると共に、心が崩れていく。 「堪らないんでしょ?」 火照っていく身体を抑えられないまま、俺は、縦に首を振った。 身悶える俺に視線を送りながら、彼はテーブルに置かれた包みに手を伸ばす。 黒い箱にかけられた銀色のリボンを解き、中を確かめた彼は、不敵な笑みを浮かべた。 「これくれる人ね、いっつも、いやらしいこと言って、私を困らせるのよ」 汗で滲んだ視界の向こうに、何かを持つ彼が映る。 「プレゼントも捨ててたけど……今日は、貴方を悦ばせてあげられるわね」 -- 7 -- 刺激に震える顔から滴り落ちた汗が、胸から腹へ滑り落ちていく。 俺の前に膝立ちになった彼は、興奮を一所に集め膨らんだ股間を擦りながら、俺を見上げた。 柔和な笑顔の奥の、異様な雰囲気。 どう表現したら良いのか分からない不安が、言葉を飲み込ませる。 「ここも、触って欲しい?」 そう言いながら、彼はジーンズのボタンを外し、ファスナーを静かに下ろしていく。 やがて顔を出したモノは、僅かに頭をもたげ、あまりにも無防備な状態を晒していた。 彼の指に絡む銀のリボンが、その手を離れ、モノに巻きついていく。 まるで何かをラッピングするように玉と根元に絡みついた帯が、きつく締め付けられる。 「い、たっ……」 「痛いの嫌い?」 顔をしかめる俺に、彼はそう笑いかける。 「嫌いじゃないでしょ?それに……すぐにイったら、お仕置きにならないじゃない」 プラスチックの容器から垂らされる液体が、下半身に冷たい感触を纏わせる。 膝まで下ろされたジーンズが脚の自由までも奪う。 股間から尻の奥まで塗り広げるように動く手で、腰が徐々に浮いてくる。 「匠くん、ここは、経験無いわよね」 慄く感情を、素直に顔に出したつもりだった。 それでも、彼の目は、そんな目で訴えても無駄よ、そう物語っていた。 「でも、こんなに淫乱な身体なんだから、きっとすぐに良くなるわ」 指の先が穴を捉える。 テーブルの上に無造作に置かれた物体が、目に入った。 好奇心が、不安で霞んでいく。 「け、い、さん……」 「何?」 「そん、な……俺……」 目を細めた彼の顔が近づいてくる。 耳元で止まった唇が、一瞬耳に触れ、囁いた。 「これで満足できたら、次は、私のモノで、いっぱいにしてあげる」 胸元のイヤリングが、軽い音を鳴らす。 やっと慣れてきた刺激が、痛みを伴いながらぶり返した。 衣服が取り払われた脚を、椅子の座面に乗せるように折り曲げる。 愛しい人を前に無様な格好をさせられていることが、辱めとなって心を犯す。 尻の割れ目を押し広げるように太腿に添えられた手が、緊張をほぐすように緩やかに動き 快楽の為だけに作られた玩具が、粘液で濡れた部分を弄っていく。 「力、抜いてね」 複数の球体が繋がったような棒の先端が、穴の入口にめり込み、吸い込まれる。 息が止まりそうな苦しさが、下腹部から上がってくるようだった。 萎れかけたのモノを撫でながら、彼はゆっくりと玩具を俺の中に押し込んでいく。 身体が欲する快感と、未体験の刺激が交互にやってくる。 激しい呼吸を繰り返す口から、薄い声が漏れる。 「これって、抜く時の方が、気持ち良いのよ」 彼はそう言いながら、半分ほど入り込んだ物体をゆっくりと抜いていく。 「う……っく」 連なる突起が生み出す刺激が、腰を痺れさせた。 そして、またすぐに入り込んでくる異物。 出し入れされる度、扱かれる度に脳に伝達される電流で、段々と頭の中が飽和状態になっていった。 ダイニングテーブルに座った彼の足が、俺の股間へと伸びてくる。 深く差し込まれた棒を弄る左足。 硬さを帯び、先端から染み出た汁を纏ったモノを扱く右足。 仰け反るように全てを差し出した俺の身体を、彼は楽しそうに蹂躙していく。 網タイツに包まれた足の感触が、得も言われない快感を呼ぶ。 先端を包むように動く指が、喉の奥から喘ぎを引っ張り出す。 自らのスマートフォンを手に取った彼は、そのレンズを俺に向けて、訊ねた。 「貴方は、私のもの。そうよね?」 全身の昂りで、言葉が上手く組み立てられない。 答えが遅れれば遅れるほど、与えられる衝撃が強くなっていく。 「お、れは……け、いさんの、もの、です」 目が眩むほどの快楽の中、やっとの思いで、声を絞り出した。 それを聞いた彼は、満足そうな笑みを浮かべ、乳首に下がる装飾品を蹴り上げる。 「う、っあ」 「それなのに、他の男の下品な声が聞きたいの?」 「あ、れは……」 「私以外の男が、貴方を見て興奮するなんて、許せない」 怒りに任せた足が、玩具を力任せに押し込む。 歯を食いしばりながら、首を振って痛みに耐えた。 どうすれば、彼の嫉妬を止められるのか。 狂わせたのは、傷つけたのは、俺。 俺が壊れれば、彼は元に戻ってくれるだろうか。 そんな覚悟、いつだって、出来ている。 「も、う……二度、と、しない、から……」 怖いくらい冷静な眼が、携帯電話の向こうから俺を見ていた。 -- 8 -- 閉じられた脚を跨ぐよう、彼は俺の目の前に立つ。 玩具が刺さったままのアナルが締め付けられ、異物感がより増していく。 絶頂を迎えることを禁じられたモノは、小さな痙攣を繰り返し、更なる被虐を待ち侘びる。 彼の興奮は、ミニスカートを押し上げる膨らみで、明らかだった。 自ら服をたくし上げた彼は、網タイツと小さな下着の中に納められているモノを見せ付けてくる。 彼の指で、ピリピリと小さな音を立てながら引き裂かれていく網目。 昂りを確かめるよう、下着の上から手を添えた彼は、俺を見下ろしながら呟いた。 「他の男の穴に入れたモノ、貴方は咥えられる?」 何も言えなかった。 彼が他の男とセックスをする光景が、頭の中を占拠する。 俺が知らない快楽に溺れる彼。 視界が霞むほどの熱が、身体中を駆ける。 これが、狂うほどの、嫉妬。 眼前ではちきれそうになっている物体に、顔を近づける。 唇で下着から引きずり出し、舌で舐っていく。 根元から刷り上げる様に唇を滑らせ、先端を軽く甘噛みすると、彼の腰が少し引けた。 見上げた先には、潤む瞳で俺を見つめる彼の顔。 「……出来る」 彼の言葉を待たず、いきり立ったモノに視線を戻す。 快楽を刻み付けるよう、じっくりと、舌を這わせた。 彼の味が沁みて来る頃、その手が俺の頭を掴む。 「あの子、凄く、悦んでくれたのよ」 信じたくない言葉に、俺は初めて彼の行為に抵抗した。 頭を激しく動かし、手を振り解こうと試みる。 けれど、両手で押さえつけられた顔に腰が打ち付けられ、モノが喉の奥を圧迫した。 苦痛を訴える呻き声が堰き止められ、喉仏を震えさせる。 悔しさで、辛さで、視界が滲む。 上半身が引っ張られ、自由を奪うベルトが手に食い込んでいく。 乳首に下げられたイヤリングが、チャラチャラと音を立てながら揺れる。 彼の激しい息遣いが降り注ぐ中、屈辱に支配された心が、少しずつ壊れていくようだった。 「んっ……」 短い声のすぐ後で口から抜き去られたモノから、精液が噴き出される。 白い液体が視界を奪い、顔に生暖かい感触を残していく。 彼は、頬を流れ落ちていく自らの精液を指で拭い、俺の唇に塗りつける。 鼓動を鎮める暇も与えられないまま、口の中に差し込まれた指に付いた液体を舐め取った。 「美味しい?」 霞んだ視界の中に、寂しげな彼の表情が歪む。 その問に小さく頷いた俺は、彼の目にどう映っていたんだろうか。 「バカね……こんなことしたって、お互い傷つくだけなのに」 自分を落ち着かせるように呟いた彼の一言が、壊れかけた心を掬い取る。 充血した乳首を、彼の舌が癒すように包む。 シャワーが降り注ぐバスルームの中で、彼は俺の身体を柔らかく愛撫していく。 激昂に駆られるがまま与えられた刺激の余韻を、その指と舌が消し去る。 「痛かった?」 「……ちょっと」 「でも、気持ち良かった?」 そっとモノに添えられた手が、静かに動き出す。 「……ん」 濡れそぼった唇が重なり、舌が縺れ合った。 「ホントに、いやらしくて、可愛い」 彼の口の中で、モノが心地良い快感に包まれる。 淫らに動く舌が、改めて彼の想いを伝えてくれるようだった。 「う……あ」 「ここ、好き?」 筋が立った裏の部分を、彼の唇が挟むように刺激する。 「す、き……」 ぬるつく先端を親指で擦りながら、しつこいくらいの愛撫が続く。 焦らされた身体は素直で、果てるまでの猶予はあまり無かった。 早すぎる絶頂に煮え切らない俺の心情を、彼は分かっていたのだろう。 「そんな顔しないの。何度でも、してあげるから」 優しい言葉に、つい感情が込み上げた。 「もっと、一緒に、いたい」 「一緒にいられれば、もう、あんなこと、しない?」 情け無い気持ちを押し込むよう、大きく息を吐く。 「寂しかったんだ。好き過ぎて、堪らなくて……何かで、埋めなきゃ、耐えられなかった」 垂れ下がった前髪を掻き揚げる手が首に回り、そのまま身体を引き寄せられる。 「全く……我が侭なんだから」 リビングの片隅に置かれたゴミ箱の中に、見慣れない煙草の箱。 拾い上げると、中には殆どの煙草が残されたままだった。 他の男の気配。 落ち着いた気分が、急に乱される。 彼が羽織ったバスローブの生地の感触が、背中に纏わりつく。 「私が他の男とセックスしたって、本当に思ってる?」 「……え?」 背後から、彼の手が箱を取り上げる。 「大人気ないわね、私。こんな真似して」 「違う、の?」 「もう、貴方とじゃなきゃ、イけないもの。私の身体」 耳元で囁かれる言葉が、身体を火照らせる。 「匠くんの身体も、同じようにしてあげる。それまで……離さない」 お帰り、おやすみ。 おはよう、いってらっしゃい。 一日の中で顔を合わせる時間は、ほんの一瞬。 それでも、彼の身体を抱き締め、唇を重ね合わせるだけで幸せだった。 誰も出迎えることの無い真っ暗な部屋に帰っても、部屋を満たす彼の気配で気持ちが昂る。 俺は、彼のもの。 そして、彼は、俺のもの。 影に潜む浅ましい感情に支えられながら、俺は、彼のいないベッドで朝を待ち侘びる。 Copyright 2011 まべちがわ All Rights Reserved.