いつまでもアメリカン。http://foreveramerican.blog89.fc2.com/ --- 受容 --- -- 1 -- 自分の為に、親を泣かせる。 どれだけ親不孝者なんだろう、と思う。 ダイニングテーブルの向かいに座っていた母は、目頭を押さえながら部屋を出て行った。 その隣に座っていた父は、何も言わず、手元のビールを飲み干した。 息の詰まりそうな空気が、長年親しんでいたはずの空間を支配していく。 「どうしてなんだ。お前と言い、善継と言い」 「善継……叔父さんとは、何の関係も無いよ」 「遺伝なのか、こう言うのは」 「……関係無いと、思うけど」 「あいつに、何かされたから、とかじゃ無いんだろうな?」 「叔父さんには何もされてないって、何回も言ってるだろ?!」 つい激しくなった口調に、父の顔が一層険しさを増す。 何処にもぶつけ様のない怒りを、彼は静かに抑えようとしていた。 「誰のせいでも無いし、誰も悪くない。俺は、そう思ってる」 だから、謝罪の言葉だけは口にしないと決めて、帰って来た。 「善継は、知ってるのか?」 「何回か、相談に乗って貰ったから」 「あいつが、両親に告げて来いって?」 「そうじゃない。俺が、自分で決めて、来た」 彼は、両親へのカミングアウトには反対していた。 自分が兄に事実を告げた時のことを思い出していたのかも知れない。 きっと彼は、俺を同じ目には遭わせたくなかったんだろう。 肉親から向けられる激しい拒絶の眼差しがどれほどのものだったのか。 それでも、俺は、大切な人と掛け替えのない時間を過ごすことが出来るようになった今だからこそ いつまでも秘密を抱えていることに耐えられなかった。 最悪な我儘であることは、重々承知している。 もちろん、認めて欲しいとも思っていない。 ただ、事実を知っておいて貰いたかった。 父は、水滴が滴るビールの瓶を持ち、手元のグラスに注ぐ。 こちらに向けられた瓶を、俺は首を振って辞退した。 「一生、一人で生きて行くつもりなのか。それとも……」 考え難い世界が一瞬頭を過ったのか、彼は眉間を指で押さえるように顔をしかめ、溜め息をつく。 「もう、しばらく、顔は見せるな」 「……分かった」 「母さんと……気持ちの整理がついたら、連絡する」 黙って頷き、立ち上がる俺に、父は遣り切れない視線を向ける。 「郁真」 「何?」 「身体には、気をつけろよ」 「ありがとう。父さんも元気で……母さんにも、伝えておいて」 湿気を帯びた夏の夜風が、落ち切った心に纏わりつくようだった。 思い出の公園があった場所の向かいには、小さな広場が出来ていた。 ベンチに腰を掛け、星一つ見えない空を見上げる。 自分がゲイであることを、こんなにも恨めしく思ったことはあるだろうか。 けれど、自分を否定することは、大切な人をも否定することになる。 全てを受け入れて、進まなきゃならない。 両親に一生後ろめたさを抱えて生きて行かなきゃ、ならない。 住宅街に並ぶ屋根に見え隠れする月が、滲む。 誰も、悪くないのに。 ポケットに入れていた携帯電話が振動を始める。 「お疲れ様。まだ、仕事かい?」 「うん……ごめん、もうちょっとかかりそうなんだ」 「そうか。オレはもう家にいるから」 「分かった。なるべく早く帰れるようにするよ」 週末の夜。 俺は、叔父である彼の家で夜を過ごす。 心を通じ合わせるだけで、唇を触れ合わせることも、性欲を満たすことも出来ない関係を続けて半年。 ずっと思いを寄せてきた最愛の人と共にいられるだけでも、幸せだった。 切れた電話を眺めながら、彼の温もりと感触を思い出す。 早く、抱きしめて欲しい。 もう来ることも無いだろう街の空気に後ろ髪を引かれながら、その場を後にした。 快速電車が自宅のある駅を通り過ぎて行く。 終電の時間が迫った時間、車内は残業を終えたサラリーマンやデート帰りのカップルなど 多くの人でごった返している。 見慣れた風景が流れる中、窓に映る自分の姿にハッとした。 昔から、父に似ていると言われて来たものの 歳を取って、尚、その傾向が強くなって来たのかも知れない。 当然それは、父と叔父にも同じ関係性があるわけで 交し合う視線に圧し掛かる背徳感が大きくなったと思う気持ちは、強ち間違いじゃないんだろう。 彼は、俺を通して、父を見てしまったりしないだろうか。 そして、俺はもしかしたら、彼を通して父を見ているのだろうか。 歪みが無くなってきたはずの、彼への想い。 自らの風貌が目に入る度、ほんの少しずつ捻じれていくような気がして、怖くなる。 -- 2 -- 合鍵を貰った時のことは、よく覚えている。 思いを伝えた夜から、一ヶ月もした頃。 彼の会社で新規物件の打ち合わせを行った後だった。 資料と共に渡された小さな袋。 外側から触った感じで、中に何が入っているのかはすぐに分かった。 「平日はお互い、仕事に追われるだろうから。週末が良いだろうね」 自らの手元を整理しながら、彼は少しトーンを落として言った。 「まぁ、君の好きにして良いよ。電話一本貰えると、驚かないで済むと思うけど」 そう笑いながら、彼は席を立つ。 建物を出てすぐ、自分のキーリングに鍵を入れた。 仕事で話す機会はあっても、それほど多くの電話を交わすことも無く プライベートで会う時間も、なかなか取れない状況が続いていた。 想いばかりが募り、悶々としていた日々に刺さる、一本の鍵。 物質的な繋がりは必要ないと思っていたけれど、想像以上の嬉しさが、頭の中を巡っていた。 玄関のドアを開けると、リビングにいたらしい叔父が廊下に出てくる。 「お疲れ様。随分遅かったね」 「……ちょっと、別件が急に」 嘘が口を衝いた後ろめたさで落とした視線に、彼は僅かに目を細めた。 「兄貴の所に、行ってたんだろう?」 瞬く間に看破され、何も言葉が出ない。 彼は静かに俺の肩に手を回し、奥の部屋へと促していく。 ソファに腰を下ろした俺の隣に座った彼は、首を傾げて俺を見た。 「さっき、電話が来てね。郁真に何かあったら、力になってやってくれって、言われたよ」 微かな溜め息が、二人の間の空気を揺らす。 「兄貴やお義姉さんがショックを受けるのは、仕方無い。それは分かるね?」 「……うん」 「どんなに年を重ねたって、直視できない事実はあるんだ」 まるで自分に言い聞かせるように呟いた彼は、俺の身体を抱き寄せる。 肩口の温もりを頬で感じ、気持ちが幾分落ち着いていく。 「辛いだろうけど、自分で決めて告白したのなら、現実を受け入れなきゃならない」 「大丈夫。俺は……大丈夫」 叔父の手が、俺の後頭部を優しく撫でる。 視線を上げると、眼鏡の向こうの瞳が、真っ直ぐにこちらを見ていた。 想いに偽りがないことを噛み締めながら、再びその身に顔を寄せ、目を閉じた。 防災設備の事前相談の為に所轄の消防局へ赴く日のこと。 待ち合わせ先に現れた叔父の雰囲気が、いつもと随分違うように感じた。 「眼鏡、変えたんだ?」 「ああ……この間、検査で現場に行った時に曲げちゃってね」 最近の若い奴らが着けているような、スクウェアフレームの黒縁眼鏡。 「今は、こういうデザインが多くて。かと言って、如何にもって言うのも抵抗あるし」 まだ慣れないのか、しきりに微調整を繰り返す彼に、素直な感想を伝える。 「でも、格好良いよ。似合ってる」 一瞬驚いた表情を見せた彼は、少し照れたように顔を綻ばせた。 「ありがとう。君がそう言ってくれるだけで、満足だよ」 「お待たせしました」 局内の待ち合わせスペースに現れた担当者の顔を見て、目を疑った。 相手も俺の顔を認識し、僅かに表情を変化させる。 以前、一度だけ夜を共にしたことがある男。 こんなところで、遭うなんて。 気持ちを落ち着かせるように、息を吐く。 幸い、隣の席に座る彼は、その微妙な空気の変化に気が付かなかったようだった。 日下と書かれた名刺を手渡してきた彼は、俺たちの名刺を見て当然の疑問を口に出す。 「ご親戚ですか?」 「いえ、本当に偶然でして」 「へぇ……珍しいですね」 仕事関係で、俺と彼が親戚であることは公表していない。 それは、彼が伝手を使って俺の会社に便宜を図っていると思われるのが嫌だから、と話したからだ。 「心なしか、似ているような気もしますけど」 「それは、彼が可哀想ですよ。私みたいな中年と一緒にされたんじゃ」 些か疑いの視線を俺に向けながら、正面に座る男は愛想笑いを浮かべた。 打ち合わせは、大きな懸案も無く終わった。 「これは、実務のご担当はどちらになりますか?」 「私が担当します」 「でしたら、念の為、携帯電話の番号も書いておいて貰えます?」 そう言って、局員は俺の名刺を差し出して来る。 何度も消防協議に行っているが、携帯番号を聞かれるのは初めてだ。 それとなく窺った表情には、何かの企みが透けて見えるようだった。 しかし、常識的におかしい訳でもなく、断る理由も無い。 戸惑いを見せないよう、番号を記した名刺を返す。 「じゃ、宜しくお願いしますね」 何処となく満足げな笑みを浮かべ、彼は奥の執務室へ戻って行った。 -- 3 -- 見知らぬ番号から電話がかかってきたのは、その日の夜、会社を出る直前のことだった。 「日下ですけど。流石にもう、お帰りですよねぇ?」 「ええ……仕事の件なら、明日、こちらから改めますが……」 嫌な気分を振り払うよう、わざと声を低く出した。 俺の返答に、彼は鼻で笑うような声で答え、その雰囲気を一変させる。 「そんな訳ねぇじゃん。折角だから、ヤらせてくんねぇかと思ってさ」 「……何?」 馬鹿なことをやっていた時期があった。 遂げられない想いを燻ぶらせ、火を鎮める為に行きずりの男と身体を重ねる日々。 消防局で再会した男も、その中の一人だった。 確か、バーで会って、酷く泥酔した状態でホテルまで行ったのだと思う。 セックスをしただけで、連絡先も交換せずに、朝、別れた。 正直、当時の記憶が曖昧で、不安を更に大きくさせる。 「何、言ってるのか……」 「オレさぁ、あん時の写メ、まだ持ってるんだよね」 「は?」 「覚えてねぇんだ?そうだろうなぁ、あんた、ベロベロに酔ってたし」 記憶が無い。 男と写メを撮るなんて、よっぽど仲の良い友達とでもしないことなのに。 「それが……何だって言うんだ」 狼狽する俺の気持ちを嘲笑うよう、彼は一つのメールアドレスを読み上げる。 「あんたんとこ、下請けだよな?こんな写真送られて来たら、あのオッサン、どう思うかね」 「……脅しかよ」 「人聞き悪いな。誘ってるだけだろ?」 別れ際に見せた笑顔が、卑しさを増した形で思い起こされる。 「こないだみたく記憶無くすまで飲めば、楽しくヤれるって」 幸いだったのは、奴が俺よりも酒に弱かったことだろう。 酒に飲まれた振りをして向かったホテルで、俺は男と身体を重ねた。 行為後、すぐに眠りに落ちた彼を傍目に、その携帯から写真のデータを消去し 一人、ホテルを後にした。 快感を得なかった訳じゃない。 このことを正直に叔父に話したとしても、彼は俺を赦すだろう。 耐え難い罪悪感が心を覆っているのに、充足感を否定できない身体。 心身の乖離が、頭の中をおかしくしていく。 家に着いたのは、もう夜の1時近く。 酒と眠気でふらつく中、洗面台でコンタクトを外す。 「やっべ……」 手元から滑り落ち、排水口に吸い込まれていく片方のレンズ。 小さな不幸の積み重ねが、大きな溜め息を押し出す。 キャビネットの隅に押し込められていた予備の眼鏡を取出し、かけてみる。 若干焦点がぼやけるような気はするものの、とりあえず日常生活に支障は無さそうだった。 改めて排水口の中を覗き込んでみると、管壁に何か光るものがくっついているのは見えたが とても取り出せそうには無い。 その内、新しいレンズを買いに行こう、そう思いながら顔を上げる。 久しぶりに見る、眼鏡をかけた自分の姿が鏡に映った。 ありがとう、そう言ってくれた叔父のはにかむ顔が、一瞬重なるように見えた。 俺が彼を通して見ていたのは、俺自身だったのかも知れない。 指を伸ばし、鏡の向こうの顔を静かに撫でる。 冷たい感触が、叶わない欲求に引き寄せていくようだった。 「善継、さん……」 漏れた吐息が鏡を曇らせ、間近に迫る自分の顔が霞む。 やがて、唇に、無機質な唇が触れる。 愛しさが増せば増すほど、満たされない苦しみも大きくなる。 それでも良いと、思っていたのに。 迷いを断ち切るように、幾度となく唇を重ねる。 「……キス、して。お願いだから」 結局、新しいコンタクトレンズを手に入れることが出来ないまま、週末を迎えた。 あれから、消防局の男からの連絡は無かった。 一回の行為で満足したのだろうか。 口実を失って諦めたのだろうか。 心の隅で不穏なものを感じながら、俺は叔父の家へ足を向ける。 マンションの部屋に、家主はまだ帰宅していなかった。 暗いリビングの向こうには、新宿の高層ビル群の灯りが小さく見える。 電気を点けること無く、その夜景を眺めていると、携帯に着信が入った。 出なくても構わない、番号。 「まさか、置いてかれるとはね」 電話の向こうの男は、開口一番そう言って笑った。 「目的は、達成したじゃないか」 「あんたもな。他人の携帯、勝手に弄ってんじゃねぇよ」 「もっと脅したかったんなら、コピーくらいしておけ」 「そうかもしんねぇけど……ま、もう用済みみたいだし」 「……は?」 「オレの電話に出るってことは、まんざらでも無いって感じなんだろ?」 下劣な問い掛けに、答えが返せない。 その時、玄関の扉が開く音がした。 「悪いけど、彼氏が、帰って来たから」 「何だ、男がいんのかよ。その割には、随分ご無沙汰みたいだったけどな」 背徳の興奮が、その言葉で蘇る。 「それは……」 部屋の電気が点けられ、眩しさに瞬間目を細めた。 「どうした?電気も点けないで……」 俺の姿を認めた叔父は、その言葉を止めて、軽く微笑む。 嬉しいはずの眼差しに、俺はひきつった顔しか返せなかった。 「オッサン趣味か。そいつが勃たないから、セックスレスって?」 「関係ねぇだろ」 「オレと付き合えば、毎日でも突っ込んでやんのに」 「……必要無いし」 「あんだけサカっておいて、何言ってんだか」 すぐ傍のソファに腰かけた叔父の眼が、真っ直ぐに俺を見ている。 自責の念で、押し潰されそうだった。 「ま、また会う機会もあるだろうし。そん時まで、溜めとけよ。橘、さん」 -- 4 -- 溜め息と共に閉じた携帯電話を手に、彼の隣に座る。 「お疲れ様。遅かったんじゃない?」 「ああ、急な打ち合わせが入ったんだ」 少し疲れた様子の手が、俺の顔に触れた。 「今日は眼鏡なんだね」 「この間、片方レンズ流しちゃって……明日買いに行こうと思うんだけど、付き合って貰えない?」 「構わないよ」 頬に添えられた手に自分の手を重ねると、僅かに身体を引き寄せられる。 逆らうことなく、彼の身体に身を預けた。 密着感を妨げる眼鏡を外し、携帯と共にローテーブルの上に置く。 「さっきの電話、さ」 「友達かい?あまり良い雰囲気では、無さそうだったけど」 「ちょっと、前にいろいろあった奴で……ヤらせろって、しつこいんだ」 軽い溜め息の後、彼は口を開く。 返ってくる言葉は、予想がついた。 違う言葉を期待することも、いつものことだった。 「君の、好きなようにして良いんだよ。オレに遠慮することなんか、無い」 それが彼の優しさなんだろう。 背中を撫でてくれている手が、彼の想いを俺の身体に擦り込んでいく。 分かっている。 叔父と甥と言う如何ともしようがない事実が、元凶であることは。 だからこそ、優しさが鋭い牙になって、心に刺さる。 「どうして」 「ん?」 「どうして、そんなことするなって、言ってくれないの?」 見上げた先にある表情は、切なげだった。 「俺のこと、パートナーとして……恋人として、見られない?」 「そう言う訳じゃない。でも……」 俺が、俺じゃなかったら、良かったのか。 戸惑いを浮かべる眼を見つめながら、彼が頑なに守り続ける戒律を、唇で傷つけた。 鏡とは違う、柔らかく暖かな感触が身と心に沁みる。 触れ合っていた時間は、ほんの僅か。 彼は俺の背中に腕を回したままで、唇を震わせていた。 「俺は、善継さんだけ、見てたいんだ」 鼓動が早くなるのを感じる。 混迷の色を深めていく顔に手を添えて、呟いた。 「……分かって」 血縁関係は、障害になっているだけじゃない。 繋がりがあったからこそ、俺はこうやって、彼と向き合うことが出来ている。 散々恨んできた、相反する現実。 それが、眉間の辺りに当たったフレームと、遅れてやってきた幸せな感触で溶けていく。 「……辛い思いさせるつもりじゃ、なかったんだ」 落ち着いた口調で囁きを残した唇が、再び重なり合う。 短い時間の中で、激しい高揚感が、身体中を駆けて行った。 気を付けてくださいね、そう苦笑する店員に軽く頭を下げながら、店を後にする。 眼鏡の違和感からやっと解放された俺は、隣を歩く彼に尋ねた。 「善継さんは、コンタクトにしないの?」 「もう、この歳だしね。オレはこのままで良いよ」 不意に眼鏡を外した彼の眼が、僅かに鋭さを帯びる。 「人相も、悪くなるだろ?」 その問いに答える言葉は、流石に往来の中では発することが出来ず 気にすること無いのに、と笑顔を返した。 「他に何か買っていく物があるなら、見て行こうか」 百貨店のエスカレーターで振り向き、彼は言った。 差し掛かるフロアは、ちょうど紳士用品売り場。 「そう言えば……名刺入れが大分古くなったから、ちょっと見てみようかな」 売り場に並ぶ品物は、思った以上にバリエーションが豊富だった。 革製のものから金属製に至るまで、デザインも千差万別。 中でも目を引いた名刺入れは、持った感じも悪くない。 俺たちを認めた店員がやってきて、声を掛けて来た。 「何かお探しですか」 「これ、欲しいんですけど」 差し出す手が、叔父の手で制される。 「あと、色違いのこっちも貰えるかな」 「ご会計は?」 「一緒で」 「え……そんな、良いよ」 ありがとうございます、と店員は棚の下にある箱を2つ取り出す。 突然の申し出に驚く俺の肩を軽く叩き、彼は目を細めた。 彼の部屋に戻ると、シンプルにラッピングされた包みが手渡された。 「ありがとう……でも、本当に良かったのに」 「まぁ、記念みたいなもんさ」 「記念?」 意図がはっきりしない俺の顔を、彼の手が優しく包み、傾げた顔が近づいてくる。 一瞬唇を触れ合わせ、彼は穏やかな表情を浮かべた。 「……そう言うの、大切にする方なんだ?」 「一年中、同じ毎日じゃつまらないだろう?」 現実を認めたくなくて、口にしなかった言葉。 「キス、して。……叔父さん」 戸惑いながら、躊躇いながら、全てを受け入れて、彼と共に送る人生。 抱えるものも、引き摺るものも、減りはしない。 その代わり、大切にしたいものも、増えていく。 灰色の毎日に少しずつ彩りを与えてくれる些細な出来事を抱えながら、また一歩前に進む。 Copyright 2011 まべちがわ All Rights Reserved.