いつまでもアメリカン。http://foreveramerican.blog89.fc2.com/ --- 依拠(R18) --- -- 1 -- 「そんなこともあるさ。あんまり気にしちゃダメだよ」 凹んだ気分を、穏やかな言葉が少しだけ浮かび上がらせてくれる。 忙しかったから、そんな言い訳が通用しないのも分かっていた。 自分の至らなさが原因だからこそ、やり場の無い悔しさがますます気分を落とす。 大手の設計事務所に就職して3年、一人で物件を任されるようになってからは半年。 初歩的なミスが、請求金額の交渉に大きな影を落とした。 面倒な図面が多かった、予定になかった計算書を作成した、そんな作業も誤り一つで価値は下がる。 何処も金にはシビアな昨今。 隙を見せれば付け込まれるということを、否が応にも知らしめられた。 「同じことは繰り返さない。それさえ守ってれば、藤枝君なら大丈夫」 そう肩を叩いてくれる住吉主任は、この物件の責任者。 一番迷惑を被っているはずなのに、責める様子を感じさせない口調で慰めてくれる。 俺を見る眼鏡の奥の目が、閉じてしまったかのように細くなる。 情けなさで一杯の中、その眼差しだけが救いだった。 鬱々とした帰宅途中。 通り掛かりにある駅で、電車を降りた。 巨大な歓楽街の裏手に位置する私鉄の駅は、いつでも酔いどれ共で溢れている。 酒が飲めない俺には無縁の場所のはずなのに、何故だか時折訪れてしまう。 梅雨が明けたばかりの蒸し暑い熱気が、喧騒の匂いを運んでくる。 アルコールと女に浮かされる気分を、少し分けて欲しくなるのかも知れない。 ざわついた空気の中で、ふと、住吉さんも酒を飲まないことを思い出す。 ただ、あの人は俺と違って飲めない訳じゃない。 酒は嫌いだと言いながら、いつも俺が頼む物を同じように頼む。 自らを律するように烏龍茶を口に運ぶ姿を見て、彼の人となりを知ったような気になっていた。 呼び込みに忙しい男たちを避ける為、脇の路地に足を踏み入れる。 薄暗く細い通りの向こうには、煌びやかなネオンが瞬いていた。 却って近道だろう、不穏な雰囲気を、そんな考えで紛らわせる。 「お兄さん、ちょっとバイトして行かない?」 暗がりから掛けられた声に、思わず身体が強張った。 声のする方に目を向けても、暗闇に溶けた姿ははっきり浮かんでこない。 「……何?」 近づいてくる気配だけを頼りに、後ずさる。 「時間あるでしょ?2時間くらいで良いからさ」 遠くで点滅している派手な色のネオンが、不気味に笑う男の顔を斑に照らす。 「悪いけど……」 震えそうな声を必死に抑えながら、立ち去る機会を窺った。 目の前の存在に気を取られ過ぎていたのか。 背後の人間に気がついたのは、後ろから口を塞がれた時だった。 鼻までをも圧迫するデカい手は、呻き声すら通さない。 恐怖で見開かれた視界に、痩せた茶髪の男が入り込む。 「ふ~ん……ま、悪くないんじゃね?」 ニヤついた表情で吐いた言葉の意図も分からないまま、腹にめり込んだ拳に意識が飛ばされた。 締め付けるような感覚が顔を覆い、薄く開けた視界は闇に包まれている。 手足に感じられる拘束感が、ぼやけていた意識を一気に我に返す。 「なっ……」 そう声を上げた瞬間、引き裂くような音と共に、腹の辺りに激しい痛みが走る。 「ぐ……あ」 痺れるような刺激が耳の奥まで響き、自分の置かれた状況を更に混乱させた。 分かるのは、服を着ていないこと、手足に枷が掛けられて台らしき物に寝かされていること。 そして、途方も無い恐怖の中にいること、それだけだった。 耳鳴りが止まない中で、その痛みは再びやってくる。 あまりにも無防備な腹に打ち付けられているのは、棒でも無く、紐でも無い。 この仕打ちにどうすれば耐えられるのかを考えようとしても、思考が定まらない。 ただただ、声にならない声を上げながら、身体が跳ねるのを受け入れることしか出来なかった。 顔が熱い。 息苦しい訳でも無いのに、荒い吐息が喉を揺らす。 まるで腹の辺りだけがすっぽり抜けてしまったように、感覚が無い。 何かが、耳元に近づいて来た。 「打たれ弱ぇな、兄ちゃん」 笑いを押し殺したような男の声に、背筋が凍るようだった。 「もっと、本気で嫌がれよ。そうじゃなきゃ、つまんねぇからさ」 気味の悪い響きの裏に聞こえる喧噪。 ここにいるのは、俺とこの男だけじゃない。 その事実が、頭の中を一層掻き乱す。 「なん……なん、だよ……これ」 「言っただろ?バイトだって」 軽口を叩く男のすぐ傍で、風切音が鳴る。 身体の芯から湧き上がる震えが、噛み合わない歯を鳴らした。 「あんたが悶える姿を、皆金払って楽しんでるんだから」 意味が分からない。 僅かに緩んだ気分を、再び苦痛が叩きのめす。 乾いた声が天へ抜けていく。 「喉が枯れるまで、啼け」 -- 2 -- どれだけの時間が経ったのか。 激しい痛みに慣れる訳でも無く、ひたすらに悲鳴を上げ続けた身体。 やがてそれは、妙な感覚に包まれる。 生温かい粘液状の物が上半身に垂らされ、それを複数の手が塗り広げていく。 痛みとは真逆の感覚に、心が落ち着きかけて、また沈む。 せめてもの抵抗は頭を揺することくらいで 滅多打ちにされた心身は、自分の物では無いような感覚に陥るくらい乖離していた。 脇の下から這い上がる誰かの手が、頭の上で拘束されている腕に伸びていく。 ゆっくりと滑っていた手が止まり、他とは違う柔らかな感触が、ある部分に纏う。 多分、そこを擦っているのは唇。 子供の頃に出来た大きな傷跡を、癒すかのような動きだった。 「随分、酷い怪我したんだね」 囁かれる声が、ぼやけて響く。 熱く湿った、舌であろう物が古傷をなぞる。 思わぬ刺激を受け入れきれない腕が、手首に巻きついた拘束具から甲高い金属音を引き起こした。 「……落ち着いて。怖がらなくて良いよ」 得も言われない音と、下品な声と、全身を包む粘ついた感覚に支配されていく中 左腕のその場所だけが、全ての拠り所になっているような、気がした。 優しい時間に縋った分、その後の責苦は冷酷さを増す。 不穏な機械音が、場を占拠するように低く鳴り始める。 幾つもの微細な振動が、身体中を突き抜けた。 「う、あっ……」 身体を傾ければ傾けた場所に、縮こませれば押し広げるように、物体が攻めてくる。 「良いねぇ。もっと、よがれよ」 上ずった声と嘲笑が、振動音の向こうに聞こえる。 反応すればする程、奴らを喜ばせるだけ。 それが分かっていても、既に身体が言うことを聞く状態に無いことも、分かっている。 激痛とは違うものが、屈辱となって心を崩していく。 一瞬の快感が、恐怖となって全身を硬直させる。 窄まろうとする身体は、枷に抗えないままだった。 最も守らなくてはならない弱点。 今までと違う反応に、彼らも気が付いているはずだ。 何とか制御しようとする意志は、急所をしつこく攻め立てる複数の玩弄物に、あっけなく砕かれる。 「もう気持ち良くなっちゃいましたって?」 「早過ぎねぇか?おい」 降り注ぐ言葉が、黒い世界に響く。 「感じてんのか?ん?」 モノの先端を潰すように押し付けられる物体に、荒い息が押し出された。 「は……っあ」 「まだまだ、これからだぞ?」 閉じられた目から流れていく液体が、闇を歪める。 足掻くことを止めてしまえば、楽になるのだろうか。 流されてしまったら、俺は、何処に辿り着くのだろう。 身の毛がよだつ様な寒気と、無理矢理湧き起こされる官能がもたらす熱気。 何故混ざり合わないのかが不思議なくらい、明確な二つの感覚が身体を蝕む。 無機質な電動物と、有機的な人の手が、何もかもを翻弄する。 首筋、脇腹、脚の付け根、宙に持ち上げられ露わになった膝の裏。 自分でも知らなかった未知の性感が、突き付けられるようだった。 胸の辺りを弄る、恐らく、二人の手。 ヌルヌルとした感触を引き摺りながら、剥き出しになっている突起に指がかかる。 細かく弾くような指の動きで、肩の周りに緊張が走った。 「良い感じで固くなってるな」 声が聞こえると同時に、片方の乳首が摘み上げられる。 無意識の内に捩れてしまう腰回り。 背中まで突き抜けるような痛みの中に混ざる、極々僅かな快感を認めたくない。 喉奥から出ていく唸り声で、それを押し流そうと試みる。 けれど、緩急のある刺激が小さな膨らみを襲う度、気概が削られていく。 「何だ?ほら、もっと抵抗しろよ」 「乳首弄られんの好きなのか?あ?」 否定しきれない震える吐息を霧散させるように、必死で首を振った。 「あ……が」 微かな金属音の後にやって来た激痛で、呼吸が歪な音に変わる。 強い力で挟み込まれた双方の乳首が、更に引っ張り上げられる。 「おら、もっと啼け」 愉快そうな男の声。 「当たり引いたんじゃねぇか、今日は」 「分かってんだろ?チンポおっ勃ってんの」 モノの先端が指で弾かれ、鋭い痛みと酷い快感が背筋を駆ける。 こんな状況なのに、俺は。 状況を鑑みる程に、無力感が心を覆い尽す。 耳に誰かの吐息がかかり、唇が耳たぶを滑る。 「痛め付けられるの、好きなのかな」 種々聞こえる声の中で、唯一穏やかな口調。 それがむしろ、不気味だった。 常軌を逸した場の中で、どうしてこいつは、平常心でいられるのか。 「……ごめんね」 男の言葉の意図を解する間もなく、口の中に何かが突っ込まれる。 顎が外れそうなくらい押し広げられた咥内で、瞬間行き場を見失った舌が水分を奪われる。 冷たい金属の感触が、頭の中を凍りつかせるようだった。 -- 3 -- 「ご奉仕の時間だぞ」 唾液が上手く飲み込めず息苦しい中、頬の辺りに何かが擦りつけられる。 プラスチックでも、シリコンでも無い、柔らかな物体。 「てめぇばっかり気持ち良くなっても、しょうがねぇからな」 その言葉で、何が行われようとしているのかを理解する。 視界を遮る革の向こうの光景が頭を過って、鳥肌が立つようだった。 口の中で膨らみを増していく、見も知らない男のモノ。 頭を押さえつけられたまま、その腰が鼻を潰す勢いで叩き付けられる。 犯される感覚が、寸でのところで踏ん張っていた自尊心を突き落とす。 何故、俺はこんな目に遭っているのか。 理不尽過ぎる時は、一体いつ終わるのか。 醜い喘ぎが段々と荒くなり、絶頂を求める男の動きも激しくなる。 奴が噴き出す快楽の汁と自らの涎が混ざり合い、僅かな隙間から漏れる。 未だ全身を弄る手の感触は、痛みと苦しさで殆ど感じられなかった。 やがて、男は声を絞り出しながらモノを口から抜き取る。 腹の辺りに広がった生温かい液体が、最悪な時間の終結を報せてくれた。 呆然とする意識を醒ましたのは、股間に垂らされた粘液の感触。 指が尻の割れ目に滑り込み、肛門を解すように遊ぶ。 わざと目を背けていた悪夢が、現実のものになろうとしている。 無駄な抵抗の気配に、太腿を押さえる様に回る腕の力が強くなった。 「ケツ振って、どうした?待ち切れないか?」 笑いを噛み殺す男の物であろう指が、穴の中に入り込む。 喉を割るような音が虚しく宙へ放たれた。 「あんまり締めると、痛ぇだけだぞ?」 掻き混ぜられる卑しい音が身体中に沁みて、それが一層、心の傷を深くする。 何かがぶつかり合う軽い音と共に股間に置かれる、複数の小さな物体。 「ほら、ご褒美だ」 その声を合図に、物体が一斉に振動を始める。 付け根辺りから玉の方まで広がる刺激。 萎れ始めていたであろうモノに巻き付けられ、強制的な快感が植えつけられる。 「一本しゃぶったら、一個、入れてやるからな」 混乱の中で機能を失いつつある聴覚が捕らえた声の通り 指が抜かれたそこに、小さな責め具が入り込む。 枯れた喉は、もう音を発しない。 握り締めた拳が、徐々に、解けていく。 犯人は、何人組なのか。 どんな男たちなのか。 己の行動を悔いることに、もはや意味は無く、現実逃避する思考がグルグル回る。 もう、日付は変わったのか。 明日が土曜日で、良かった。 揺るがない時の流れだけが、唯一の希望だった。 口から枷が取り払われたことで、その男が最後であったことを知る。 仕打ちに耐えた痺れる口は、まだ機能してくれているようだった。 しかし、意思とは関係なくのたうつ下半身は解放されない。 「そろそろイきたいか?」 そんな問に答えることも出来ず、ただ、唇を震わせる。 生殺しの術を、彼らは知っている。 何かを求めることが、完全服従の証しになることも。 穴の中に埋まっていた物体が、一個一個抜き取られていく。 瞬間、尾てい骨にその刺激が走る。 「オモチャじゃ物足りないってことか」 顎を掴まれ、肩から上が右へ傾く。 「ん?好きにしてやるって、言ってんだぞ?」 「ブチ込んで欲しいって、ねだったらどうだ?」 「……ち、が……う」 「もったいないから、オレにくれよ」 穏やかさが欠けた男の声が、遠くに聞こえる。 何度も収縮を繰り返した器官は、誰かの手によって再び屹立する。 先端に触れた柔らかい感触が、脳天まで響いた。 「家畜のチンポしゃぶるって?」 「嫌いじゃないんでね」 裏筋を滑るざらついた物が、遣り切れない官能から助け出そうとしてくれる。 「美味そうなものは、食べたくなる性質なんだよ」 咥え込まれたモノに与えられる快感が、暗いはずの視界に火花を散らせる。 「う、あ……っ」 一気に押し寄せる波に飲み込まれるよう、男の口に全てを委ねる。 程なく迎えた絶頂と、恐ろしいほどの脱力感。 半開きになった口元に、得も言われない液体が吐き出される。 「飲んで」 流し込まれる青臭い、自分の精液。 触れ合う唇の優しい感触と真逆の仕打ちに、絶望はいよいよ深まった。 抱えられるように連れ込まれたのは、風呂場だった。 温度の上がりきらない冷たい水が、乱暴に降り注ぐ。 久方ぶりに開けた視界に入ってくるのは、その壁と、男の足。 所業の跡と共に流れていく水を、座り込んだまま、ただ眺めていた。 ボロ雑巾のようなバスタオルと数枚の万札を放り投げ、茶髪の男は何処かへ消える。 床に散乱する、自分の衣服と所持品。 言うことの聞かない身体を引き摺り、最低限の身だしなみだけを整える。 手の付けられていない財布を確認して、這うように、その場を離れた。 -- 4 -- 誰かの視線に耐えられない。 濡れた髪から落ちる滴に背筋を冷やされながら、大通りまで足を進める。 酔眼だらけの街であることは、幸運だったのかも知れない。 怪訝な表情を浮かべる運転手を金でなだめ、タクシーで家路を急いだ。 貴重品が無事であったことに退路を断たれたと気が付いたのは 自宅に着き、スーツのポケットに突っ込んだ万札を取り出した時だった。 金を盗られたのであれば、強盗として警察に訴えることも出来る。 もちろん、暴行の被害届を出すことも可能だけれど、そんなこと、出来るはずが無い。 奴らはそれを知っていて、だからこそ、金には手を付けないのだろう。 何も無かったと思い込ませるには、業が深過ぎた。 身体を侵食していた鈍い痛みは、週末の時を経ても端々に残る。 道を歩いていても、電車に乗っていても、会社についても尚、周囲の気配に心が怯える。 平常心を取り戻すことが出来ない俺を置き去るよう、非情にも時間は過ぎていく。 「大丈夫?調子悪そうだね」 相変わらず浮ついたままでの業務が捗る訳も無く 今日中に終わらせる予定だった図面も中途半端な状態で迎えた夜。 少し離れた席で残業をこなしていた住吉さんが、声を掛けて来た。 「手伝えそうなことがあれば、言って。オレの方、もう終わるから」 「いえ……大丈夫です」 取り繕うように作った表情に、彼は少し戸惑いの眼を向ける。 「過ぎたことは、忘れる努力も必要だよ?」 傾いだ眼鏡に照明が反射して、その表情が窺えない。 それだけのことが、妙な不安を呼ぶ。 「……はい」 溜め息混じりの俺の返事に、彼は不意に立ち上がった。 レンズの向こうの眼は、やっぱり優しげで、ざわつく心を僅かに宥めてくれる。 並んだ机を回り込むようにして近づいてくる彼を目で追った。 俺の傍に立った先輩が机の上に広がるスケッチを手に取り、眺める。 「納まりの要領図か」 「頭の中に、構想は出来てるんですけど……」 「一回、リセットしてからの方が良いんじゃないかな」 彼はマウスを握る俺の右手を覆うように手を乗せ、書きかけの図面ファイルを閉じた。 「まだ、提出は先でしょ?」 「ええ、まぁ」 手の甲に触れる彼の体温が、意固地になっている気分を和らげる。 その指が袖を捲り上げた腕に滑り、離れて行った。 エレベーターに乗り込み1階のボタンを押した住吉さんは、自身のネクタイを緩める。 一つ息をつく気配に向けた視線が、彼のものと交わった。 「藤枝君、何か……悩みでもあるの?」 「え?」 「体調ってよりも、気分的な問題なんじゃないかと思って」 誰にも言えない、あんなこと。 でも、誰かに助けを求めたくて、堪らない。 「すみません……大丈夫です。本当に」 作り笑いは得意じゃない。 ぎこちない表情が彼の憂慮を深くしたのだろうか。 眼が、少し細く歪んだ。 彼を身体の左側に感じながら、エレベーターは目的階に到着する。 先に降りるように促され、それに従う。 扉の向こうには、照明が落とされたエントランスが広がる。 空調は止まっていたけれど、未だひんやりとした空間に仄かな月明かりが差し込んでいて 2階まで吹き抜けたカーテンウォールの向こうが熱帯夜だということを、忘れそうになる。 ふと、左腕が軽く掴まれた。 振り返った先には、薄い光を浴びた先輩の姿。 些か無表情の彼は、ワイシャツの袖のボタンを外し、静かに捲り上げていく。 「……どうしたん、ですか」 肘の下側に付いた傷が、袖の中から露わになる。 あまり他人には見られたくなくて、普段は服の下に隠している部分。 彼がその存在を知っていたのかどうかは、分からなかった。 「大きい傷だね。……何で、付いたの?」 小学生の頃、ふざけて遊んでいた拍子にガラス窓にぶつかり、ざっくり切ってしまった傷の跡。 一瞬にして血に塗れ、酷く泣いたのは覚えているけれど、その痛みはあまり覚えていない。 まるで辛苦を鎮める様に、親指が傷を撫でる。 しばらく動きを繰り返した彼は、目を細め、古傷に唇を寄せた。 柔らかな感触が、あの夜感じた微かな官能を引き起こす。 「何、するんですか……っ」 認めたくない感情で、引き離そうとする腕に力が入る。 俺の抵抗に呼応するよう、彼の手は俺の肩を掴み、身体を引き寄せる。 「住吉さん!」 彼の人差し指が、声を制する如く唇に触れた。 「大丈夫、落ち着いて。……怖がらなくて、良いよ」 その声と言葉に、闇が、走馬灯のように頭を巡る。 唯一の拠り所であり、最後の希望を断ち切った存在。 受け入れがたい現実に気力を抜かれた身体が、彼の腕の中に納まった。 -- 5 -- 男としての尊厳を激しく侵す行為であったことは、間違いない。 あれから、女に対する性的な興奮に罪悪感を抱くようになった。 煽情されても尚、それで昂ぶる自分の心身が悍ましい。 一枚のグラビアから頭の中に沸くイメージは、自分がされた行為とほぼ変わらないもので そう思考が働く度に、俺は結局、あの男たちと根本は変わらないという結論に達するからだ。 けれど、身体は疼く。 彼の声と唇の残像が、今まで感じたことの無い類の欲望を呼び起こす。 男の行為で刻み込まれた快感が、拭えない。 頭も、身体も、どうにかなりそうだった。 誰もいないエントランスホールは酷く静かで、二人の鼓動が恥ずかしい位に大きく聞こえる。 「……あんな所に君がいるなんて、思わなかったんだ」 彼の言葉にもまた、相当の覚悟が感じられた。 普通の男なら出入りするはずも無いであろう場所。 拉致した男を凌辱し、自らの性欲を発散し、その対価として金を払う。 身体を通して響いてくる揺らぐ声は、彼が人と違う嗜好を持っていることを暗に示すものだった。 数少ない、信頼のおける人間だった。 縋る場所が、崩れていく。 それなのに、抱きすくめられ、衣服を通して沁みてくる体温が心地良い。 裏腹な感情を、何とか否定したかった。 「……楽しかったですか?満足、しました?」 その問に、彼の身体は強張り、細かな震えを見せる。 「それは……」 声が聞こえるまでの時間の長さが、彼の迷いを、本心を、示していた。 「俺だって、分かってて、どうして……」 肩を掴んでいた手の力が抜ける。 俺は彼の身体から離れ、正面からその表情を窺った。 うな垂れた彼は、動揺を隠さないままで視線を床に泳がせる。 「そんなに、俺のこと、嫌いですか」 「違う、それは違う」 「じゃあ、何で……助けて、くれなかったんですか」 何処かで弁解の言葉を待っていたのかも知れない。 折られそうになっている彼への好意を、何とか保っていたかった。 「君じゃ、なかったら……あんな、こと……しなかった」 希望を打ち砕く言葉を、彼は足元に向かって呟いた。 時間を戻せたら、どんなに良いだろう。 記憶の一部を消し去ることが出来たら、どんなに楽になるだろう。 彼を憎むことで、自分の気持ちを落ち着ける。 もっとこの気持ちを強くすれば、きっと些細な躊躇いも吹き飛んでくれるはずだ。 未だ燻る、彼を慕う気持ちも、やがて、消え去ってくれるはずだ。 「お前、何考えてるんだ!」 普段温厚な上司の、滅多に耳にしない激昂した声。 その雷を受けた相手は、電話の向こうの先輩だった。 「調子が悪い?電話の一本くらい、出来るだろ?!」 午前中に予定されていた客先との打合せを無断で欠席したと、先方のクレームで知った上司は それ相応の態度で部下に接する。 「明日は這ってでも来い!良いな?!」 怒りが収まらない上司に障らないよう、皆が息を潜めるように机へ向かう。 周囲に溶け込むべく図面にペンを走らせていた俺に、不機嫌な声がかかった。 「藤枝、午後は予定あるか?」 「外出の予定は、特に……」 「じゃあ、住吉の代わりに行ってこい」 どうやら先方は、午後でも良いから来てくれとの話をしているようだった。 件の仕事は、住吉さんの下で俺が受け持っている物件で、内容的には問題は無い。 ただ、優秀な先輩の尻拭いをさせられる平凡な後輩という肩身の狭い立ち位置が、気分を萎れさせる。 それでも、当然、拒否する権利などある訳も無い。 胸騒ぎを抑えながら、俺は上司に了解の言葉を返した。 覚悟したほどの叱責を受けずに済んだのは、幸運だったのかも知れない。 外出から戻った俺に、上司が心配そうな視線を送ってくる。 一通りの報告をしても、その表情は晴れない。 険しい顔をしたままで隅の打合せブースに俺を促した彼は、椅子に腰掛けながら、言った。 「住吉に何があったか、知ってるか?」 一瞬の狼狽は、どうにか隠しきったと思う。 「いえ、何も……」 無断欠席どころか、遅刻をしたところすら記憶にない。 その彼の様子がおかしい、そう感じ始めたのは、つい最近のことで 先日の出来事が少なからず関係しているのだと想像するのは、あまりにも簡単なことだった。 「お前がここに配属される、ちょっと前くらいまでかな」 頬杖を突き、窓の外の夕景に目を向けながら、上司は呟くように話し始める。 「あいつ、アルコール依存気味で、今とは別人だったんだよ」 「……初めて、聞きました」 「毎日じゃないにせよ、時折二日酔いで出社して来て、そのまま早退、とかな」 想像もつかない、彼の過去の姿。 酒宴の席で浮かない顔をしていた理由にも、納得がいく。 「それが、ある時を境に、ぱったりと酒を止めたんだ」 「何が、きっかけで?」 「さぁな。……今思えば、後輩が出来たから、とか、そんなことだったのかも知れないな」 意匠設計をメインとするウチの会社では、設備設計に配属される社員は多くない。 事実、俺が配属されるまでの数年は、住吉さんが一番年下だったそうだ。 5、6歳離れているとは言え、歳が近い後輩として、可愛がってくれていたのは確かだった。 「それなのに、電話の向こうで、ご機嫌な声上げやがって」 「飲んでたんですか?」 「ああ。一気に昔に引き戻された気分だったよ」 上司が吐いた溜息には、過分に憂いが含まれていた。 「お前、明日一日現調だろ?とりあえず、心当たりがあればと思ってな」 -- 6 -- 改めて、好意の深さに気が付かされる。 終日外出の予定が、逆に気分を落ち着かせてくれた。 出社した彼が浴びるであろう視線、言葉。 何一つ、知りたくなかった。 結局、俺の中の憎悪は全く成長せず、憂いを通り越して憐みに変わり、却って彼を思い起こさせる。 予期せず湧き上がる、腕を這う唇の感触が、鼓動を早くする。 遠ざければ遠ざけるほど、募っていく彼への歪な想い。 何処かで彼と、繋がっていたい。 例えそれが、自分を傷つけるものであったとしても。 資料を置いて行く為。 誰に聞かれる訳でもない言い訳を考えながら会社に戻ったのは、夜も7時を過ぎた辺りだった。 週末の夜、既婚者が比較的多いウチの部署では アテの無い独り者が仕事に打ち込むにはもってこいの時間になる。 恐らく、残っているのは彼一人だろう。 「金曜日の夜ってさ、次の日の心配しなくて良いから、残業する気になるんだよね」 そう笑っていた彼の言葉を思い出す。 彼女でもいれば違うのだろうが、出来る見込みもない暮らしを続けている内に その言葉に同調することが、当たり前になってきたような気がする。 システム天井の照明が、ある一角を明るく照らしていた。 通路から、自らのPCに向かって仕事をしている住吉さんの姿が窺える。 信頼のおける先輩というだけでは無くなってしまった存在。 依存に苦しみ、流されようとしている、歪んだ性癖を持つ彼に、どう接して良いのか。 物音に気が付いたらしい彼が、こちらに顔を向ける。 憔悴した表情のまま、少しだけ、目を細めた。 「今日は、直帰じゃなかったっけ?」 「ええ……荷物が多いんで、置いて帰ろうかと」 「そ、か」 物足りない会話を切り上げ、彼は再び仕事に戻る。 俺を早く帰す為、わざと居心地の悪い空気を作っているのかも知れない。 いつものような明るい雰囲気は、何処にも感じられなかった。 荷物を置き、パソコンの電源を入れる。 黙々と仕事を続ける先輩と画面とに意識を往復させる。 溜まっていた未読メールに一通り目を通した後、声をかけてみた。 「住吉さん、もう、飯食いました?」 それだけの行為にも、妙な緊張を悟られないような努力が必要だった。 返事を待つ時間が、いやに長く感じる。 どんな答えが最良なのかも掴めず、色々な回答のパターンが巡っては消えていく。 「……いや、まだだけど。でも、あんまり腹減ってないから」 「そうですか……」 向けられた視線に、瞬間身体が固まった。 あまりにも切なげな闇を宿したレンズの向こうの眼は、俺が知っている彼とは別人のものだった。 「藤枝君には、知られたくなかったな」 軽く背伸びをし、大きく息を吐いた彼は、そう呟いた。 「え?」 「聞いたんでしょ?オレが昔、アル中だったって」 「それは……」 「治ったと思ってたけどね。やっぱり、何かに依存しなきゃ、生きて行けないみたいだ」 弱点を曝し、それを隠すことを諦めてしまったように、彼は薄く笑う。 「ホントに、ごめん」 それは、何に対しての謝罪だったのだろう。 凌辱の夜から救い出してくれなかったことか、仕事に穴をあけたことか。 あるものに依存することで気分を落ち着かせる行為は、悪いことじゃない。 けれど、自ら負のベクトルを背負いこもうとしている彼を見るのは、耐えられなかった。 「折角、止めたのに……どうして」 「もう、オレには、何も無いから」 彼は目を閉じて、迷いを振り切るように頭を軽く振る。 「帰ってくれないか」 震える声が胸に響く。 このまま彼は堕ちていくのだろうか、そんな不安が脳裏を過る。 言葉を失った俺に、彼は追い打ちをかけた。 「君を、見てるのが、辛いんだ。こんな自分を見られるのも……辛いから」 憎むべきは彼じゃない、それは分かっている。 自分の不幸を、誰かのせいにして楽になりたいと思っているだけだった。 彼が彼じゃなくなっていく様子を見るのが辛い。 俺は、自分が思っている以上に、彼に依存しているのかも知れない。 そのタガを外してしまったのが俺ならば、それを掛ける役目も、俺が担うべきだ。 荷物をまとめ、席を立つ。 俯く先輩の傍に立ち、鞄を床に置いて、袖を捲った。 俄かに顔を上げた彼の前に腕を差し出す。 「もう一度……舐めて下さい」 -- 7 -- 訝しげな視線が俺の腕を滑る。 息を飲んだ彼の唇は大きく震えていた。 やがて、手首に自らの手を添えた彼の顔が、ゆっくりと傷跡に近づいてくる。 ふと視線を上げた彼は、俺の表情を窺いながら、腕に唇を寄せた。 溶ける様な感触が、腕を通って背中に抜けていく。 鼓動の早まりと荒くなる息が、その行為のもたらす意味を知らしめた。 小さく開いた口から漏れる吐息が腕に熱を与え、ざらついた舌が追いかけるように湿気を纏わせる。 静かに舌を這わせる彼の頭に、手を添える。 少し長めの髪が指に絡みつき、解けていく。 動きを止め、俺に向けた視線は、まるで縋りつくような眼差しだった。 「どうして、嘘がつけなかったんだろう」 「嘘……?」 「オレは……君を苦しめて、満足してしまう自分に、嘘がつけなかった」 名残惜しそうに最後のキスを終え、彼は腕を離す。 「こんなに、好きなのに。君がいなきゃ、耐えられないのに」 弱弱しい声でなされた告白が頭の中を白くする。 もう、元には、戻れない。 掴みかけた見えない手を、跳ね除けるか、固く握り締めるか。 いずれかの道に進むしかない。 「……住吉さんの、好きに、して下さい」 俯く彼に、そう声を掛けた。 「何をされても、耐えられるから」 深い溜め息が聞こえる。 「これ以上……嫌われたく、ないんだよ」 「そうじゃないんです。俺は……俺も、住吉さんがいなきゃ、耐えられない」 首筋に手を伸ばし、彼の頭を引き寄せる。 驚きを示した顔に心を揺さぶられるのを感じながら、俺は彼と唇を重ねた。 額に当たる眼鏡のフレームが、激しい心音で遠のきそうな意識を引き戻す。 「何処にも行かないで下さい。俺の傍に、いて下さい。……傷ついても、構わないから」 それが彼の望みなら。 俺の苦痛が、彼の宿り木になるのなら。 あんな闇、怖くない。 歓楽街を歩く彼の姿を、一歩後ろから眺める。 少し猫背気味の上半身が猥雑な影を纏って、何となく大きく見えた。 彼が目指していた、大通りから一歩入った場所。 「……もう、引き返せないのかな」 先輩が口にした躊躇いに、背中を押されたような気がする。 覚悟のため息をつき、彼の手を取って、先の見えない薄暗い階段を上った。 何の変哲もないテナントビルにある店の中には、露骨な欲望を振りかざす男たちが集っていた。 広いオープンスペースでは、絶妙な距離感で牽制し、誘惑しあう者たちが各々の時間を過ごしている。 俺たちが案内されたのは、クローズドスペースと呼ばれる二人用の部屋。 貧相な明かりに照らされた狭い室内には、家具と言えるものは殆ど無く セミダブルくらいのベッドと、その向かいに組まれた鉄棒の櫓だけが、部屋の使用目的を表していた。 一目で分かる、安い作りの建物。 何処かから、狂乱の音が漏れ聞こえてくる。 立ち尽くす彼の後姿を視界に収めながら、心を包む恐怖の皮が剥がれていく。 背後から腕を伸ばし、後ろから彼の身体を抱きしめる。 肌を通して感じる、混ざり合う互いの鼓動。 腰に回した手に、震える手がそっと触れた。 「今日は……目隠し、しないで下さい」 飲み込んだ息が、身体の中を落ちていくのを追いかける。 「ありのままの、自分と、住吉さんを、見ていたいから」 自身の迷いを握りつぶすよう、彼の手に力が籠る。 「……分かった」 狭いシャワーブースの中、降り注ぐぬるま湯の下で彼と身体を触れ合わせる。 引き締まった、けれど柔らかさを持ったその感触が、自らが置かれた状況を惑わせた。 男と抱き合い、キスをして、虐待されることを待ち望む。 あの夜から、こうなることは決まっていたんだろうか。 依存し、依存される関係を突き詰めた帰結。 もしかしたら、そのずっと前から、定められていたのかも知れない。 この固い繋がりを、何と呼ぶのだろう。 もし、愛と呼ばないのなら、きっと、この世に、愛なんて存在しない。 湯にさらされ、熱を持った身体は、申し訳程度に設置されたエアコンくらいでは冷めやらない。 下着姿のままで、塩ビタイルが貼られた床に跪く。 後ろに屈んだ彼は、その腕を俺の上半身に回して自らの体温を押し付けてくる。 首筋に唇の感触が滑り、背筋が強張った。 「好きだよ……それだけは、忘れないで」 振り向いた先にある、未だ躊躇いを拭いきれない表情。 顎を軽く突出して、口づけを求めた。 「刻んで下さい。あなたの想いを……俺の身体に」 -- 8 -- 後で組まされた手首にかけられる手枷。 膝立ちの足首を繋ぐ足枷。 緩めに着けられた首輪から伸びる鎖が、その足枷の鎖に絡められ、上半身が仰け反る。 「苦しい?」 「い……え」 背筋に力を入れていないと、軽く首が締まり、上手く声が出ない。 頭の動きと視線で、砕けた声を補った。 無防備な胸元を弄る二つの手。 彼の身体に寄りかかるよう、その動きに全てを預ける。 腰回りから脇腹を通って肩まで上がって来た手は、昂ぶりを表しているであろう場所を撫でる。 喉から押し出た小さな音を合図に、指が突起を弾く。 捩れる身体は鎖に阻まれ、なされるがまま快感に流される。 摘ままれ、捻り上げられる乳首が、狭い気道を通る吐息に声を纏わせた。 喉仏の下に納まる首輪の金具に、細い鎖が取り付けられる。 鎖の先に付いているのは小さ目のクリップ。 柔らかく弄られ、突き出した部分が挟み込まれた。 「……う」 短めの鎖は双方の乳首を乱暴に引っ張り上げ、痛みが肩周りに広がっていく。 「少し、我慢して」 耳に唇を寄せながら囁く彼は、首と足とを繋ぐ鎖に手をかける。 徐々に後ろ側にしなる上半身。 頭が上向き、視界に天井が入り込んでくる程に、辛苦が加速する。 虐待されている部分から発せられる甲高い悲鳴が、呻き声となって空間に響いた。 今にもバランスを崩しそうな身体は、彼の肩に置かれた頭を支点として、何とか保たれていた。 当所も無く揺らす指に感じられたのは、ピンと張った鎖と、彼の微かな昂ぶりの様子。 触れてはいけない様な気がして、思わず手を閉じる。 その気配に気が付いたのであろう彼は、汗が滲むこめかみに舌を伸ばし、呟いた。 「……触ってて」 俺の身体をじわじわと甚振りながら、けれども穏やかさを残した声。 激しい痛みの中で再び指を伸ばし、やがて捉えた部分に、不自由な愛撫を施していく。 首筋を滑る、あまりにも柔らかな感触。 大きな筆の様な刷毛が、身体を妙な感覚に陥れる。 千切れそうなほどに引っ張り上げられている場所を、毛の束がゆっくり回る。 痛みが和らぐ訳じゃ無い。 却って、責め苦で敏感になった部分には、細かな毛が鮮やかな刺激をもたらしてくる。 何処に入り込む余地があったのだろうと思う程、頭の中に官能が混ざり込む。 「う……は、ぁ」 潰れた声が、彼と、俺の鼓膜を揺らす。 それは、この状況を受け入れる覚悟が出来たという印に、他ならなかった。 額に滲んだ汗が耳の方へ流れていく。 腹の辺りを撫でていた彼の手は、ゆっくりと下半身へ近づき 探り当てたかのように、膨張を始めている器官の縁を指でなぞる。 俺の視界の中の彼は殆ど表情を変えず、執拗に、優しく、身体に快感を擦り込んでいた。 不意に動きを止めた指が、俺の唇を撫でる。 「しゃぶって」 そういう声が聞こえると同時に、半開きの口の中に二本の指が入ってくる。 「……ん」 言われた通り、指に舌を絡めた。 息苦しい声を上げながら咥える様子を見る彼は、眼鏡の奥の目を細め、満足げな表情を浮かべた。 もう片方の手が下着の中に入り込む。 直接感じる、熱い彼の手。 無意識に腰を引くと、上半身に痛みと快楽が走った。 逃げ場の無い中で、彼から与えられる仕打ちに耐える。 程なく、口から出て行った唾液に塗れた指が、モノの先端に粘つく感触を残す。 「うあ……」 単純すぎる刺激が、身体中を駆けていく。 下ろされる布が引き摺る些細な抵抗心など、ひとたまりも無かった。 身体を歪めていた鎖の力が緩み、苦しさから解放された吐息が漏れる。 枷を外された足は立てない程に痺れていて、後ろに倒れそうになる身体を彼が支えてくれた。 ベッドに仰向けになった俺の視界に、笑みを浮かべた彼の顔が入り込む。 重なる唇の感触が、信じられない程に心地良い。 胸元へ下がっていく顔から、虐げられ続けた乳首を慰めるように舌が覗く。 柔らかい快感に混ざる、歯痒い想い。 肩を捩りながら、俺は、あの痛ましい刺激に囚われてしまったのだと実感していた。 身体を裏返され、腰を突き上げるように膝を折り曲げる。 唯一自由を奪われたままの手を背中に組み、肩で身体を支え、顔をベッドに埋めた。 尻に垂らされる粘液が太腿を伝って流れていく。 指が割れ目に沿って上下し、得も言われない感触が音と共に広がる。 腰に軽く手が添えられ、間もなく侵入してくる指に押し出された揺らぐ息が、シーツに沁みた。 裂けるような痛みが、じっくりと解される。 身体の奥の性感帯を弄ぶ彼の指は徐々に動きを激しくしていく。 「……感じる?」 僅かに上ずった声が聞こえる。 その問い掛けに、身体の昂ぶりは更に増す。 答を声に出来ないまま、行為を受け入れ続けた。 体内に入り込んでくる何か。 「力、抜いて」 意識しないように、と思っても、無意識に生じる侵入物への抗い。 中で躊躇いがちに捻じられていた物体が、一気に奥まで差し込まれた。 歯を食いしばる程に身体は強張る。 玩具を押さえつける革のベルトが腰を回り、苦しさからの逃げ道は断たれた。 大丈夫、耐えられる。 閉じた眼の端に滲む涙が、汗と共に流れて行った。 -- 9 -- 腰の上で握り締めた手を、彼の手が優しく掴む。 腕が伸ばされ、その枷と腰のベルトとが鎖で繋がれた。 少し肘を曲げるだけで、異物の圧迫感が身体を突き抜ける。 肩を持ち上げ、背中を反らすと、何とか痛みが和らいだ。 何も言葉を発する事無く、淡々と俺の身体を苛む彼。 心が見えない不安が、些細な戸惑いを生む。 俺の顔の前に腰を下ろした彼は、責めに喘ぐ上半身に手を添え、抱え上げた。 「す、み……よし、さん」 細く歪んだ視界の向こうには、切なげな目をした先輩の姿。 眉間から降りてくる唇の感触に、辛苦を訴える言葉が掻き消される。 躊躇いの声を聞く前に、震える声を吐いた。 「……だい、じょう、ぶ」 酷く歪めた表情のまま、彼の思惑に流されたいと思う気持ちを表す。 重ねられた唇は、互いに、震えを隠しきれていなかった。 膝立ちになった彼のモノが、目の前に差し出される。 屹立したそれは、この時間に如何に心酔し、満足しているのかを明らかにしているようで 痛みに打ちひしがれそうになる心を鎮めてくれる。 照りを帯びた先端に舌を伸ばす。 快感に足を踏み入れた乾いた声が頭上から聞こえ、腰が揺らぐ。 舐る程に、俺の肩を支えてくれている手の力が強くなる。 口の中で混ざり合う二つの味を飲み込み、モノを咥え込んだ。 浅く潜り込む塊ですら、頭の中を白くする。 無慈悲に突っ込まれた男たちのモノの感触が思い起こされた。 ゆっくりと頭を動かすと、自らの腰を打つ刺激が強くなる。 それでも、彼を絶頂に導く為に、より深く口に含む。 肩に添えられていた手が二の腕の方へ下がり、気道を締める質感が増してくる。 打ちつけられる腰の動きが徐々に激しくなり、その度に差し込まれている玩具が奥を叩く。 「んっ……う、っん」 前後の穴が犯されているような感覚。 この上ない屈辱のはずなのに、堪らなく、気持ち良い。 さっきまで太腿辺りに当たっていたモノの感覚が無くなっている。 滾った欲望は揺らがない程に硬くなり、玩弄されることを待っていた。 「う、あ……」 朧げな声のすぐ後で噴き出された彼の精液が、口の中に充満する。 込み上げる嘔吐感を抑え込むように、彼は俺の顔に腰を押し付けた。 苦しさの中で、必死に、飲み込んだ。 やがて抜かれていくモノに、唾液が糸を引く。 それが切れるのを見届けるかのように、上半身が持ち上げられ、彼の顔が近づいてくる。 軽く唇を触れ合わせ、中に入って来た舌が、余韻を舐め取る。 腕を撫でていた手が下半身へ伸び、待ち侘びるモノに触れた。 「……っく」 痺れを切らした声が、絡み合う舌に響く。 逸る気持ちを乗せた視線を、彼は真っ直ぐに受け止めてくれた。 全ての拘束を解かれた身体には、所々に残る刺すような痛みと、明確な昂揚が同居している。 片方の足をベッドに乗せて座った俺の下半身で蠢く頭。 仰け反る身体を腕で支え、彼から受ける快楽に身を投じる。 聞こえてくる水音と、小さな呻き声が興奮を助長する。 裏筋を辿る舌、カリを抱え込む唇。 この部屋でなされた全ての行為が、今の快楽をより激しいものにしている。 髪の影に見え隠れする眼鏡のフレームを見やりながら、うわ言のように声が出た。 「はぁ……いい」 ふと動きを止めた彼は、見上げる視線を俺に送り、微笑む。 それは、いつもの、俺が待ち侘びていた表情で 日常とは掛け離れたこんな時にでも、見られたことが心から嬉しかった。 彼の腕が俺の腰を抱え込み、絶頂へ導く動きが早くなる。 この時間が終わる、そのことに幾ばくかの無念を感じながら、身を任せた。 「う……い、く」 咄嗟に腰を引こうとする俺を捕らえたまま、彼は俺の射精を口で受け止める。 迸りが無くなった後も、しばらく、モノに舌を絡ませながら名残を楽しんでいるようだった。 俄かに腰を上げた彼が、俺の上半身をベッドに押し倒す。 覆い被さる様に身体を重ね、震える俺の頬に唇を寄せた。 「ありがとう」 囁かれた感謝の言葉が、胸に響いた。 顔に手を添え、引き寄せる。 互いの想いを刻むように、何度も、何度も、唇を重ね合わせた。 それから、会社帰りに彼の家に立ち寄る機会が多くなった。 決まって金曜日の夜。 人影のまばらなオフィスで帰るタイミングを見計らい、共に会社を後にする。 廊下の壁に手を付いた俺の胸元を、ワイシャツの上から彼の手が弄る。 布ごと引っ張り上げられる乳首が、痛みと快感を身体にもたらす。 「これじゃ、物足りないかな」 吐息と共に頷きで答えを返すと、スラックスからシャツが抜かれ、中に手が入り込む。 ゆっくりと焦らすように突起を撫でる指。 「つま、ん……」 言葉を全て聞かない内に、その指は二つの乳首を摘み上げた。 「うっあ……」 「こう?」 「は、あ……も、っと」 捻じられることで、悲鳴にも似た声が喉から出ていく。 「凄く、感じやすくなったね」 「住吉、さんの、せい……ですよ」 彼に虐げられないと、純粋な欲求を満たすことが出来なくなった身体。 「心配無いよ。ちゃんと……オレが、責任取るから」 「……っん、うぁ」 「良い声。もっと、聞かせて」 苛まれる身体が、彼への依存を強くする。 虐げられて悦ぶ身体が、彼からの依存を受け止める。 歪んだ柱かも知れない。 それでも、俺たちは、僅かに噛み合った部分で支え合っている。 きっと、これは、愛なんだと思う。 Copyright 2012 まべちがわ All Rights Reserved.