いつまでもアメリカン。http://foreveramerican.blog89.fc2.com/ --- 相愛 --- -- 1 -- 「一週間、しっかり英気を養って、8末の事前審査に向けてまた頑張ってくれよ」 夏季休業に入る前日、東京からやってきた事業部長の音頭で暑気払いの宴席が始まる。 9月中の確認申請図提出を目指し、ひたすら業務に当たってきた数ヶ月。 皆一様に疲労を背負いながら、現場が止まるこの9日間を待ち望んでいたに違いない。 「とりあえず、お疲れ様」 「お疲れ様です」 向かいに座る河合さんと、簡単な労いの言葉を掛け合う。 春以来、遠出することはめっきりなくなった。 けれど、毎日顔を合わせ、週末ごとに短い時間を共有することはすっかり日常になり 腹八分目程の幸せが、多忙な毎日の糧になっていたような気がする。 「元気にやってるか?」 そう言いながら彼の隣に座ったのは、このプロジェクトの総責任者だった。 「おかげさまで、何とかやってます」 「お前が抜けた穴、埋めるの大変なんだぞ?」 「そんなことないでしょう。出来る奴、たくさんいるんですから」 本社勤務だった頃の上司と部下は、以前を懐かしむようにビールを酌み交わす。 「ここが終わったら、また東京に戻って来ないか?」 「どうですかね……そうはいっても、10年近くは続くでしょうから」 「じゃ、オレの定年と入れ替わりってことだな」 豪快な笑い声に、厭らしさは少しも感じない。 事業部長の雰囲気からも、彼が如何に上からの信頼を得ているのかを改めて知らされた。 会社の飲み会で彼が酒を飲んでいるのを見るのは珍しい。 今日は、俺が泊まるホテルに部屋を取り、明朝自宅に戻る予定だという。 若干饒舌になって騒がしい雰囲気に同化している姿は、何となく意外な一面を見ている気がした。 「沖野から聞いたぞ。お前、見合い断ったんだって?」 そんな彼に、先輩社員が冗談めかした言葉を投げる。 「ああ……良いじゃないですか、その話は。もう終わったことなんですから」 殆どの者は初耳だったのだろう。 愛想笑いを浮かべて話題を振り払おうとする彼を、酔客が放っておくはずもない。 「何、相手はどんな女?」 「すげー金持ちなんだろ?」 「勿体ねぇな。何やってんだよ」 彼が俺に語った女性像は、かなりおぼろげな物だったらしい。 取引先のメーカーの重役の娘で、女子大時代は準ミスに選ばれた程の容貌。 実家は山王に居を構える、名家なのだという。 「金はそんなに無くても……他に大切なものがありますし」 「あるに越したこた、ねーだろ?」 「別に、特に困ってないんで」 「ほ~……そういう台詞、言ってみたいね」 のらりくらりとかわし続けるほどに、逃げ道が細くなっていく。 かと言って、俺が口出しする場面でも無い。 幾分困惑した彼の表情に、もどかしさが募るようだった。 「早乙女君とばっかり遊んでっから、結婚できねーんじゃねぇの?」 何処かからの声が、俺にまで火の粉を振りかける。 「ほっといて下さいよ。それに、早乙女君には関係ないでしょ」 どう反応して良いのか判断が付かなかった俺を、彼が咄嗟に庇ってくれたものの 納得いかないであろう男たちの追撃は収まらない。 「お前、実は女よりも……ってこと、無いだろうな」 「何だよ、あっちの方は欠陥か?」 飲みの席でのよくある冗談、悪意は無いのだろう。 少なくとも、俺以外には、笑って流せるような言葉だったと思う。 グラスがテーブルに叩きつけられる激しい音が、場を一瞬固まらせる。 「……あのさぁ」 目の前の彼は、声の主に向って軽蔑の意を込めたような冷たい視線を送っていた。 「そういう性質の悪い冗談、マジでやめろって」 滅多に聞くことの無い乱暴で辛辣なトーンに、傍で聞いていた俺までが緊張感を覚えるようだった。 「河合、ちょっと落ち着け」 近くに座る同期に諌められ、その視線が俺の方へ戻ってくる。 目が合った瞬間、無理矢理作り笑いを見せた彼は、けれど、すぐにまた憮然とした顔を見せた。 何が彼の怒りのスイッチを入れたのか。 もしかして、それは自身が同性愛者だと疑われたことなのかも知れない。 「勝手に言わせとけ。ああいう形でしか鬱憤晴らせないんだから」 「……慣れてるつもりなんだけどな」 手元の焼酎を一気に煽った彼は、大きな溜め息をつく。 「図星突かれると、自制効かなくなる」 悔しさを滲ませた声が、程なく、再び盛り上がり始めた喧騒に掻き消されていった。 数台のタクシーに分乗してホテルに戻る頃、やっと彼は落ち着いた気分を取り戻す。 「何か……今日はちょっと、飲み過ぎたかも」 「まぁ、たまには良いんじゃないですか。こういう機会ですし」 口にするほどではない些細なストレスが、いろいろと溜まっているのだろう。 俺の言葉に一瞬微笑みを返し、隣に座る男は空を仰いで目を閉じた。 「早乙女君は、明日あっちに帰るんだっけ?」 助手席に座る彼の同僚が、後ろの様子を窺いながらそう声を掛けてくる。 「ええ、明後日、地元の同窓会に出て……火曜日にはこっちに戻る予定です」 「同窓会って、中学?高校?」 「中学の」 「へ~……何?初恋の人とか来たりして?」 ほろ酔い加減の言葉に思い返されたのは、青い記憶の中のはにかむ顔。 「いや……どうでしょうね」 「同窓会で再会して結婚、なんて、結構よく聞く話だからなぁ」 たった半年、臨時でやってきた教師の消息なんか、分かるはずもない。 でも、もしかしたら、何か分かるかも知れない。 「良いなぁ。ああ、でもオレ男子校だったからな……」 羨ましさを露わにする声に、つまらない期待がくすぐられた。 -- 2 -- すっかり日も落ちたというのに、駅前に掲げられた温度計には30という数字が輝いている。 全身に貼りつくような暑さは、地元に戻って来たのだという実感を身体に植え付けた。 実家があるのは埼玉の北側、昔から夏の猛暑で知られた街。 高校を出てから一人暮らしをしていたこともあり、やや疎遠になってはいたけれど やっぱり、不思議な安心感のある空気に包まれている。 たまに顔を合わせる旧友たちと落ちあい、指定された場所へ向かう。 学年単位の同窓会は思いの外出席者が多く集まったらしく、駅前の居酒屋を貸切って行うらしい。 卒業してから10年以上が経ち、人生の転換期に差し掛かる時期。 店の前に集う元クラスメイト達は、誰もが皆、大人になっていた。 高校進学以来疎遠になっていた同級生で、一人、母校の教師になった男がいる。 「お前が先生とか……ウチの学校大丈夫か?」 中学2年の頃、成績も見た目も平凡だという理由で何となく出来上がったグループのメンバー。 当然、その中には俺も含まれていた。 「数学だけは得意だったからな」 「ああ、よく宿題写させて貰ってたっけ」 「でも、そのお陰で、高校でエライ苦労したけど」 「人のせいにするなよ……」 それでも、各々、何かしらの職に就き、家庭を持つ者もいる。 人生はこのくらいのペースが良いのかもな、と、誰かが言った一言に妙に納得させられた。 「そういや、2年の時、担任の臨時で来た男の先生、覚えてるか?」 赤ら顔で酒を口に運ぶ、とても教師には見えない友が聞いてくる。 「あ~……何だっけ?いたのは覚えてる」 突然の話題に、軽い緊張感を覚えた。 鮮やかに蘇る男の顔を抱えながら、その場をやり過ごそうと決める。 「何かちょっと、弱気な感じな人だったよなぁ?」 「名前が出てこないな」 「そいつが何だって?」 その場の殆どの人間が、今まさに思い出すような人物の話題。 「小倉先生っつーんだけど、この間まで、ウチの学校にいたんだよね」 「へぇ……で?」 俺にとって、それが喜ばしい話ではないということに、気が付くべきだった。 「オレが副担やってるクラスの女子に手ぇ出して、免職になったんだよ」 中学生も3年にもなれば、それなりに身体は大人の様相を見せてくる。 初体験を済ませた娘も、少なくは無いのだろう。 けれど、まだ子供だ。 「うわ、最悪」 「そのケがあったんじゃねぇの?」 「知らねぇ。奥さんも子供もいたはずなんだけど」 「何でバレたんだ?」 「妊娠してさ、生徒が。んで、産むとか言っちゃって、親が大騒ぎ」 聞きたくない。 これ以上、淡い思い出が汚されるのに耐えられそうも無かった。 トイレに行くと言って席を立ち、そのまま外の通りに出る。 近くにある灰皿の前で煙草に火を点けると、蒸し暑い空気と共に煙が流れていく。 男である以上、女と関係を持ちたいと思う気持ちは誰しもが持つ本能なのだろう。 常識を外れているとしても、つい生じた出来心、を完全に否定できる男は殆どいない。 俺自身、身をもって経験したことは無いけれど、理解はしているつもりだ。 心の中の彼は、俺が妄想だけで作り上げた紛い物。 実際の彼は、聖人君子でも何でもない、ただの男。 初恋の相手というフィルターを掛けてしまっていたのは自分自身なのに やっぱり、誰かのせいにして傷つくことを避けようとしてしまう癖は、直っていない。 「明日の夜で良いんだよね?」 月曜日、大よそ3日ぶりに聞く男の声は、既に休みに飽きてきた、そんな雰囲気を醸し出していた。 「ええ、10時前に着く便です」 「もうちょっと、ゆっくりしたら良いのに」 九州に戻る当日は、両親の実家の墓参りへ行く予定になっていて、地元に戻るのは夜になる。 本来なら次の日の朝に発てば良い話だが、少しでも早く、彼の顔を見たかった。 「まぁ……こっちにいても、特にやることも無いんで」 「こっちにいたって……オレとどっか行くくらい?」 「その方が、よっぽど充実した休みを過ごせそうですよ」 俺の返事に朗らかに笑ってくれるだけでも、小さな喜びで心が躍る。 紛れも無く、恋をしている、そう思う瞬間だ。 「そういえば、同窓会はどうだった?」 ふと振られた質問に、一瞬気持ちが強張った。 「え……ああ、楽しかったです」 「何か、運命の出会いとかはなかったの?」 「それは、無かったですね。残念ながら」 楽しかったのは嘘じゃない。 ただ一点、最悪の事実を知ったこと以外は。 「でも……初恋の相手の、今、を聞きました」 「会ったの?」 こうありたいと思う姿を作る為につく些細な嘘に、後ろめたさが、また積み重なる。 「いえ、来なかったんですけど……元気にしてるって聞いて、安心しました」 「そっか……でも、叶わない恋だからこそ、いつまでも良い思い出として取っておけるのかもね」 淡い何かを撫でる様、溜め息まじりに発せられた言葉。 彼にもきっと、そんな人がいるのだろう。 相手の気持ちに一喜一憂することも無い。 終わりを恐れることも無い。 想いをひたすらに自分の心の中で温めているだけの時。 叶わないと分かっているのなら、行く末を知らないままで終わってしまった方が幸せなのかも知れない。 「そうだ……一つ、宿題を出してもいいかな」 「宿題?」 僅かな間をおいて耳に届いた声は、さっきまでのトーンよりも幾分低い。 「早乙女君さ」 音から滲む憂いに、手が震えた。 「男が男を好きになる気持ちって、分かる?」 -- 3 -- 扁平な月と幾つかの星が浮かぶ空を、飛行機が飛び立っていく。 あと数時間もすれば、また、彼の地に降り立つ予定だというのに 未だ、宿題が終わらない。 答は明白だ。 けれど、どう答えて良いかが分からない。 何故、彼はこんなことを問うてきているのか。 大人の男同士として、俺たちの関係に違和感を持ち始めているのかも知れない。 結局、昨日の夜は延々とループする思考にハマり、殆ど眠れなかった。 「昼くらいから酷い雨でね」 俺に無理難題を出した男は、そう言いながら迎えてくれた。 「朝までには止むって言ってたけど……どうだろう」 課題の提出を求められる気配はなく、さりとて安心できる訳でもなく 気持ちの所在を掴めないまま、彼の後に続く。 「飯は食った?」 「ええ、あっちで少し時間が余ったんで」 「じゃあさ、ちょっと行きたいところがあるんだけど、付き合ってくれる?」 その提案に、思わず視線の先の時計へ目をやった。 夜の10時半を回った辺り。 「……これからですか?」 博多の街も近い。 とはいえ、一晩中飲みに繰り出すような性格ではないことも分かっている。 「ちょっと遠いんだ。疲れてるだろうし、車の中で寝てても良いから」 明日じゃダメなんですか。 珍しく頑なな口調に、そう質すことも出来ず、そのまま頷きを返すことしか選択肢は無かった。 確かなのは、今走っているこの道が初めて来た場所であるということだけ。 九州へ来てから半年以上が経ったといっても、地理にはそれほど詳しくない。 途中で高速道路に入り、点々と光るテールランプを追いかけるように闇を走る。 何処へ行くのか、そして彼が出した宿題の意味は何なのか。 真っ直ぐ前を見てハンドルを握る彼の口から、答はまだ発せられない。 トイレ休憩で立ち寄ったパーキングエリアで、数時間ぶりの紫煙に有りつく。 建物に掲げられた名前で、やっとそこが大分県であることを知った。 周りは山に囲まれているのであろう、虫の音が響き、幾分ひんやりとした空気が流れている。 「あと……3時間くらいで着くかな」 疲れと眠気でやや朦朧としてきた俺と、彼の様子は対照的だった。 「河合さん、仮眠取らなくて、大丈夫ですか?」 「うん、オレは平気」 恐らく、今日こうやって遠出することを、彼は前から決めていたのだろう。 その意図を汲むことも出来ないまま再び車は走りだし、やがて俺は、眠りに落ちた。 意識が戻った時、車は止まっていた。 薄い視界は暗く、自分の身体が横になっていること以外、取り巻く状況は何も分からなかった。 背中越しに感じる、誰かの気配。 ゆっくりと近づいてきた熱は、小さな溜め息を一つつく。 垂れ下がる前髪が指で掻き上げられ、微かな刺激が全身を戸惑わせる。 「……すいとーよ」 消え入りそうな声の後、柔らかな感触が頬の辺りに溶けていった。 寝たふりは、多分得意じゃない。 予期せぬ事態に僅かに乱れた呼吸を、彼に感じ取られたらしい。 「起きてた?」 額に彼の手を感じながら、そっと目を開け、顔を向ける。 夜に同化した表情を読み取ることは出来なかった。 「……すみません」 静かな吐息が鼻の頭を掠めていく。 順応してきた視界に映り始めたのは、あまりにも切なげな男の顔。 「今のが、オレの答。君の答を、知りたい」 俺は、自分が望んだ答が、目の前にある。 でも、彼は、本当にこれで良いのか。 男が男を好きになる。 俺にとっては自然なことでも、彼にとっては、そうじゃない。 本当の自分を晒さぬまま、答を返すことは、フェアじゃない。 「あの……僕、一つ、話して、ないことが」 「聞きたくない」 感情を押し殺した声に、息を飲む。 「答だけを、教えてくれ」 彼の頬に指を寄せ、軽く力を入れると、その顔が間近に迫る。 穏やかではない、覚悟と緊張感を露わにした表情だった。 首を起こし、一瞬だけ、唇を重ねる。 解けていく彼の顔は、すぐに見えなくなった。 彼の首元に顔を埋めながら、互いの鼓動を感じ合う。 静かに力が籠められる二本の腕に、身を委ねた。 俺のカミングアウトに、彼はそれほど驚きを示さなかった。 満たされないから、行く末が見えないから、彼の感情ばかりを追いかけていた。 嫌われないように、今以上の関係を望まないように、自分の想いを自制してきた。 恋に落ちてから、ついさっきまで、独り抱えてきた気持ちを吐露する。 寄り添うように座る隣の男は、何も言わずに、黙って全てを飲み込んでくれた。 漆黒だった背景に、僅かな白みが差してくる。 直線状に浮かび上がっているのは、恐らく水平線なのだろう。 「君は、相手に特別な存在だと思われたい、と思うことが、恋だって言ってたよね」 ハンドルにもたれ、窓の外に目を泳がせている彼は、呟くように言う。 「でも、今のオレは、君にどう思われるかよりも、君を想う気持ちの方が大きい」 近づいてくる手に呼ばれる様、視線を交わす。 「もし……拒絶されても、ひたすら君を、好きでいたいと思った」 俺の頬を指で撫でながら、震える唇は、再び俺に問いかけた。 「この感情を……君なら、何て呼ぶ?」 青白い空に薄い赤みが混ざり込んでいく。 雨の気配は周りの木々に残るくらいで、頭上には透き通った青が広がっていた。 駐車場の柵の向こうには、穏やかな海と、大きな島影が見える。 ここは、九州で、最も早く朝日が昇る場所。 「何かを新しく始めたい時、いつも、ここに来るんだ」 湿った潮風を吸い込みながら、彼は大きく伸びをした。 「……出来るだけ長く、続けられるように、って」 微笑む顔に、光が射す。 答が、心に浮かんだ。 「河合さん」 「ん?」 「さっきの……答」 「ああ」 車のボンネットに寄り掛かっていた俺の身体を、彼の手が自らの方へ引き寄せる。 鼻頭を擦り合せながら、彼は目を細めた。 「聞かせて」 けれど、そう言った傍から、彼の唇が俺の言葉を奪う。 幾度となく触れ合せる度に、幸せが溢れだす。 今日から始まる新たな日常。 二人で愛を寄せ合いながら、生きていく。 Copyright 2013 まべちがわ All Rights Reserved.