いつまでもアメリカン。http://foreveramerican.blog89.fc2.com/ --- 矜持(R18) --- -- 1 -- 駅から途切れることなく続く人波は、吸い込まれるように一つの建物へと消えていく。 都内でも一等地に近い場所に建つそのビルは、築20年程。 25階建という規模は、当時としてはかなり立派だったのだろうが 今では周囲に林立するビル群の一部と化している。 「おはようございます」 「おはよう」 「先ほど、人事から連絡がありましたよ。部長から貰っているお話とか何とかで……」 「ああ、じゃあ僕から連絡しておくよ」 この会社に転職してきてから、10年ほどが過ぎた。 親会社である大手通信会社が所有する不動産の管理・営繕が主な業務。 営繕部部長という肩書は貰っているものの、部署には社員が5人しかおらず ヒアリング・設計提案・工事会社との打ち合わせと、全員がフル稼働で動いている状態だ。 元々勤めていたのは、大手の設計事務所だった。 有名物件を幾つも手掛ける会社ではあったが、同時に、激務であることも知られていた。 誰もが同じように遣り甲斐を見いだせる訳もなく、耐え切れずに辞めていく人間も少なくない。 中間管理職となって数年は、もがきながらも喰らいついていたが ある時、多忙を理由に元妻から離婚を切り出され、不意に糸が切れてしまった。 折しも建設不況真っ只中、社内で早期退職希望者を募る動きがあり、それに乗じて会社を去った。 ある夜、地下1階にあるコンビニから自社へ戻る際、エレベーターホールで一人の男と一緒になった。 作業服を着た若い男がビル管理会社の社員であることは、胸に付けている身分証で分かる。 鳥越という名前が目に入り、そういえば、以前にも乗り合わせたことを思い出した。 このビルには、6基のエレベーターがある。 しかし、自分のオフィスからは中央ホールが遠いこともあり、近くにある人荷用の物を常用していた。 通常のエレベーターは上層階・下層階で分かれており、機械室や屋上へは止まらない作りになっているが このエレベーターは地下4階から屋上まで、全ての階に停まる。 ビルメン社員達は基本的にこの箱で行き来していることもあり、顔を合わせる機会はそれなりにあるだろう。 エレベーターの扉が開き、素早く先に乗り込んだ彼は、ボタンの前に陣取る。 「何階ですか?」 それほど疲れを見せない若い顔が、こちらを見た。 「ああ、10階を」 その言葉で10階のボタンを押し、その後、彼は11階のボタンを押す。 奥に進み、彼とは対角線上の位置に立ち、背中を壁に預ける。 閉まっていく扉を目で追い、何となく、中肉中背の男の後ろ姿に視線を移した。 11階のフロアには空調用のファンと、各種中間水槽が設置されていると聞いている。 大きな工具箱を持っているところを見ると、何か、エラーでも発生したのだろうか。 そうこう考えている内に、表示ランプが "10" を示す。 重い金属製の扉が開き、薄暗いホールに箱の中の光が広がっていく。 開のボタンを押し、扉に手を添えたまま、彼は静かに頭を下げた。 「どうも」 外に出てしばらくすると、エレベーターは静かにしまり、周囲を照らしていた光は無くなった。 それからしばらく経った、深夜残業帰りのこと。 時間は夜中の12時をすっかり回り、フロアの中には静寂が広がっていた。 いつものようにエレベーターを待っていると、表示灯が下から上がってくるところだった。 他フロアの社員が使うことも珍しいことでは無いが、この時間に残っている人間はそう多くない。 そんな懸念も、10階を通過していった箱が11階で停止したことを確認したところで払拭される。 扉が開いた向こうに立っていたのは、あの若いビルメン社員だった。 誰かが乗ってくることは想定していなかったのか 手に持ったスマートフォンの画面から顔を上げるまで、しばらくの時間がかかっていた。 こちらを一瞥した彼は、やや狼狽えた表情を見せ、すぐに作業ズボンの中に端末を押し込む。 「あ……すみません」 姿勢を正し、扉に手を添えた男は、落ち着かないように視線を下に落とした。 「地下1階で宜しいですか?」 扉が閉まっている間、彼はそう尋ねてくる。 エントランスゲートは1階にあるが、夜間には締められてしまう為 この時間に退出するには地下にある守衛室前のゲートを通らなければならない。 「ああ、ありがとう」 管理センターがある地下1階のボタンは既に点灯しており、彼も持ち場に戻るところなのだろう。 ゆっくりと箱が降り始め、モーター音だけが響く。 養生マットが貼られた壁にもたれるように立つ男の服はやや乱れており、ズボンの裾が僅かに濡れている。 「何か、調子の悪い機器でも?」 ふと口にした問に、男の肩が微かに震えた。 「えっ……ええ、貯湯槽に、ちょっと……不具合がありまして」 「もう古いの?」 「そう、ですね……竣工時からあるので、そろそろオーバーホールが必要かと」 何処か緊張したような口調が耳に届ききったところで、エレベーターが目的の階に到着する。 扉が開き、やはり先に降りるように促す彼に従い、廊下に出た。 「お疲れ様でした」 そう残して去っていく男の姿をしばらく目で追い、彼とは反対方向に歩き出そうとした時 今降りたエレベーターが再び上がっていくことに気が付いた。 -- 2 -- 「本当に、今回は……ありがとうございました」 週末の騒々しい居酒屋の中で、男はそう言って深々と頭を下げた。 「もう少し待遇を良くしてやりたかったんだけどね」 「いえ、十分です。助かります」 「それで、具合はどうなの?」 「……今は落ち着いていますが、メンタル的に弱くなってしまったようで」 目の前に座るのは、設計事務所時代に面倒を見ていた白井という男。 同じ部署の新入社員として顔を合わせてから、10年来の縁が続いている。 しかし、彼も他の社員同様、入社2年も経つ頃にはみるみる内に疲弊していく様子が窺えるようになった。 優秀であるが故に、任される仕事の量も突出していたのだろう。 出来るだけフォローするように努力はしていたが、周りも同じ状況で、理不尽さを表に出すことも出来ない。 「最近はもう、どうやってモチベーション保っていったら良いのか、分からなくて」 ある夜、帰り際にそう呟いた若い彼に対して 既に会社を離れることを決めていた俺は、何の言葉も返してやれなかった。 偶然の再会は、2年ほど前に手掛けた案件がきっかけだった。 テナントビルの大規模修繕の担当者として、工事会社のリニューアル部へ転職したという彼がやってきた。 あの頃と比べると大分落ち着いた印象に見え、安堵したのをよく覚えている。 「僕から担当を希望したんです」 打合せの後、彼は幾分気恥しそうに言葉を口にした。 「昔お世話になった恩を、今なら返せるかと思って」 結局、見捨てる形になったことを後悔していた俺にとって、それは得難い許しの言葉だった。 白井に人生の決断を迫る出来事が降りかかったのは、半年ほど前のこと。 故郷に住む母が交通事故に遭い、下半身麻痺の障害を負った。 父は既に他界し、兄弟もおらず、親戚も遠方に住んでいる。 幸い実家はあるものの、介護の手は彼しか無い。 様々な可能性を模索しては思い悩む姿に、今度こそ、手を差し伸べてやりたいと思っていた。 「後任は、決まりそう?」 「ええ、何とか調整できそうです。ついでに、新しい人材も募集を掛けてます」 彼の出した結論は、実家に帰る、というものだった。 最も非現実的な答えではあったが、男の真意がそこにあることを悟り コンサルティング担当の委託社員として、俺の会社で雇用する話を取り付けた。 給与水準は下がるものの、各種福利厚生は他社員と変わらず、勤務体系も自由。 但し、朝のミーティングと週2回の進捗会議はテレビ会議での参加を義務付けている。 「僕は、大した人間じゃないですけど……運だけには、恵まれているみたいです」 逆境の中でも好機を喜べる部下を持てることを思えば、俺も十分、運に恵まれているのだろう。 白井と別れたのは夜の10時を過ぎた辺り。 直帰するか迷った挙句、打合せの資料だけを置いて帰ろうと会社に立ち寄り 地下からゲートを抜けいつものエレベーターに乗り込んだ。 ボタンを押し間違えたことに気が付いたのは、扉が開き、一歩踏み出した時だった。 通常のフロアとは違うだだっ広いホールには、正面と左右に大きなドアがある。 チラホラと付いた照明は、この高天井の空間には幾分照度が不足している感があり ふと視線を動かすと、右側奥の扉が少し開き、そこから光が漏れてきていることに気が付いた。 ドアノブに手を掛けたのは、ちょっとした好奇心からだった。 手前に引こうとした瞬間、反対側から押される力を感じ、思わず後ずさる。 「……っあ」 言い訳が頭を過った俺の目の前に現れたのは、酷く怯えた様子の男だった。 皺だらけのワイシャツも、濡れた長めの髪も、怪訝に思わずにはいられなかったが 彼は震えた目を数秒こちらに向けただけで、自分の脇を通り抜け、非常階段へ駆けこんでいった。 部屋の中には大きな貯湯槽が設置されている。 手前側の照明しかつけられていない為、奥の方まで見渡すことはできないが 確かに、設置されている機器は随分古い。 何かの作業をしていたのか、コンクリートの床は一部が濡れていた。 その時、今度は、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「ここで、何を?」 振り向いてからの意識は、殆ど残っていない。 そこにいたのは、確かに、ビルメンの彼だった。 けれど、作業服を着崩し、冷めた表情を浮かべた男は、まるで別人のようだった。 「知ってます?このフロアはね、カメラ、無いんですよ」 薄笑いを浮かべた彼はそう言って近づいてきて、突然、みぞおちに一撃を入れてくる。 あまりの衝撃に膝が崩れ、意識が薄れていく。 「おっさんには、あんま、興味ねぇんだけどなぁ」 その声が本当に彼のものなのか、それすらも判断できない内に、目の前が暗くなった。 -- 3 -- 勢いよく掛けられた水の感触で、全身の感覚が蘇る。 「いつまで寝てんだよ」 視界に物が映る前に身体の自由が利かなくなっていることに気付いた脳が、警告の感情を湧き上がらせた。 一体、何なんだ。 言葉は口に噛まされた猿轡らしきものに遮られ、男には届けられなかった。 濡れたワイシャツを通して背中に当たっているのは、何かの配管だろうか。 腕はそこに絡ませられるように繋がれており、身体を捻る度に金属音が虚しく響く。 下半身は衣服を剥ぎ取られ、下着一枚だけが残されており 両足首も同じように枷で自由が奪われて、開かされた脚を閉じることはできなかった。 愉快そうに自分を見下ろす若い男は、睨みつける視線を自身のスマートフォンで受け止める。 撮られている、そう思っても、忌々しい想いをぶつけずにはいられなかった。 感情を逆撫でするように嘲笑を一つ浴びせ、彼は無造作に投げ捨てられた自分の衣服を漁り始める。 やがて手にしたものは、ストラップの付いた社員証だった。 「営繕部部長……へぇ、偉いんだ。あんた」 今更身分を知られたところで、大した問題では無い。 「幾ら貰ってんの?給料。一千万とか、普通に貰ってんだろうなぁ」 こっちだって、彼の所属も、名前も、分かっている。 「クソみたいなオレらの仕事なんか、いっつも見下してんだろ?」 けれど、目の前の男は、明らかに異常な眼をしていた。 「そんな奴に、タマ握られてるって、どんな気分?」 水に濡れて重みを増したネクタイが引っ張られ、顔が彼の方へ近づけられる。 狂気の満ちた表情に、背筋が寒くなった。 「……ああ、酒飲んでんのか。ったく、良い御身分だな!」 握り締められた拳が向かってくる。 思わず逸らした頬に、硬い感触がめり込み、目の前に火花が散った。 鼻で息を吐くと、拍子に生暖かいものが口元へ垂れていく。 視線で向けられた抵抗の意思に、彼は何処か嬉しそうな表情を見せた。 「ああ、おっさんも悪くないかも」 社員証を放り投げ、上着を脱ぎ捨てた男は、傍に置かれた工具箱を足で引き寄せる。 「若い奴だと、殴っただけで戦意喪失しやがるから、つまんねぇし」 恐らく、さっき逃げていった男も、同じ目に遭ったのだろう。 「あんたみたいに強気な眼ぇされると、とことん楽しんでやろうって、気になるんだよ」 彼の足元にばら撒かれたのは、工具とは程遠い道具の数々だった。 「とりあえず、小手調べ、ってことで」 そう言って手に取ったのは、競馬で使う鞭のような形をした物体。 男が振り上げ、空を切る度に、風切り音が耳を刺激した。 瞬間身体を縮こませようとする本能が、枷に遮られる。 勝ち誇ったような顔が心底不愉快に思え、その後すぐに太腿に打ち付けられた痛みが理性を大きく揺らがせた。 「……っぐ」 喉から絞り出されていく音が、辛うじて意識を繋ぎとめる。 「おっきい声出しても、良いんだぜ?どーせ、誰も来ないんだから」 半笑いの口調で、男は更に凶器を無抵抗の身体に打ち付ける。 理不尽過ぎる仕打ちに、ただただ、耐えることしかできなかった。 幾筋もの跡が付けられた脚の感覚は殆ど無くなっていて、痛みから変わった痺れと熱だけが残されていた。 腰回りにも力が入らなくなり、上半身が徐々に倒れていく。 こちらへ伸びてきた男の手が無造作にネクタイを引き抜き、ワイシャツのボタンを乱暴に外す。 「さっきの奴よりは、良い身体してんね」 肌蹴られた胸元を、無慈悲な物体が這う。 弄ぶように数回先端で腹の辺りを軽く叩き、彼は笑った。 「ちゃんと腹筋に力入れとけよ」 踏ん張りの効かない身体に痛みが刺さる。 幾ら手を握り締めたところで、然程の効果は無かった。 一撃一撃食らう度に耳の奥が抉られるような電流が走り、こめかみから首筋、背中の方まで脂汗が流れていく。 それでも、男の動きが止んだタイミングを見計らって、未だ、抗いの意思は尽きていないと示す。 許しを乞う? どうして、こんな奴に。 この時は、まだ、そんな矜持が自分の中に残っていたのだろう。 限界が近い身体を見下ろす彼は、そんな感情を一笑に付す。 「まだまだ……これからが、本番だから」 正面に立った男の足が自分の太腿を踏みつけ、更に股を開かせる。 持っていた鞭を逆さに持ち替え、その柄で無防備な場所を擦り始めた。 直接的な痛みよりも、恐怖は大きかった。 下着が摺り下ろされ、彼の前に下半身が差し出される。 全身の強張りを感じ取ったのだろう。 ふと目を細めた若者は、尻の割れ目に棒を宛がい、ゆっくりと動かし始めた。 「ああ……こっちの方が、あんたには効くってことか」 その場を離れ、程なく振り向いた男の手には、大ぶりな鋏が握られている。 目前に迫る最悪な組み合わせに頬が痙攣し始めた。 「流血沙汰は好きじゃないからさぁ、とりあえず安心しなよ」 口角を上げ、わざとらしく首を傾げた男の手が自分の股間に伸びてくる。 僅かに引いた腰はすぐさま引き戻され、開いた二枚の刃が鈍く光った。 「邪魔なもん、取っちまうだけだって」 そういうや否や、脚の付け根付近に纏わりついていた下着が、小気味よい音を立てながら只の布と化す。 恥辱に震える感情は、肌に感じられた冷たい感触にすぐさま打ち消される。 性器の傍を辿る金属の気配に、思わず頭が横に揺れた。 「結構デカいじゃん。でも、もうそんなに勃たねぇんだろ?」 楽しげに独り言を口にして、彼は鋏を操り続ける。 ザクザクと陰毛が切られる音と振動が頭の中に響き、冷静さを奪い去っていく。 こいつを止めるには、どうしたらいい? どうすれば満足する? 男が再び立ち上がった時、その場所は無残な姿になっていた。 禿山のような肌の上に、萎れたままのモノが横たわっている。 「あんたがイったら、オレの勝ち、な」 親指と人差し指で性器を摘み上げ、彼は俺に、答を投げた。 -- 4 -- 赤く腫れあがった上半身に、粘性の液体が塗り込められていく。 刺すような痛みに重ねられるその感触と男の体温が、徐々に恐怖を湧き上がらせた。 身体を捩る度に小さな金属音が上がり、目の前の男が満足げな表情を浮かべる。 彼の手が下半身へと差し掛かった瞬間、一つ、息を飲んだ。 しかし、目当ての場所であろうと思っていた部分には手を触れず、その奥へと指を伸ばしてくる。 「弄って欲しかったか?残念、ここは最後のご褒美だから」 見上げる視線を受け止めた男は、そう言って笑みを浮かべた。 硬く小さな物体が有り得ないところをなぞる。 得も言われぬ感情が顔を火照らせ、頭の中に靄をかけていく。 「何だよ、さっきまでの生意気なツラは何処いった?」 俺の反応を愉しむかのように、男は閉ざされた穴に異物を捻じ込む素振りを見せ、ふとその手を止めた。 「こんなちっちゃいのでビビッてたらダメですよ、能登部長」 彼の呼びかけが自らの立場を改めて突き付ける。 けれど壊れかけた矜持をあざ笑うかのように、ついにそれが中へ押し込まれた。 中に収まった小さな玩具は2つ。 腹圧で押し出されそうになる物を指で押さえながら、男は更に小さな栓のようなものを手に取る。 「ふっ……ぐ」 呼吸の仕方を忘れてしまいそうになる程の息苦しさが尾てい骨を痺れさせた。 彼は安っぽい素材でできたリモコンを両手に持ち、それを見せつけるように俺の顔の前へ差し出す。 「まさか、ここで気持ち良くなっちゃったり、しねぇよなぁ」 ふざけた問の答は見つからなかった。 ただ、肛門の筋肉の収縮さえも手に取るように分かるくらい、敏感になっていることは確かだった。 初めての刺激に、感情が追い付いてこない。 身体の奥から打ち付けられるような衝撃が背骨を震わせ、徐々に全身へ広がってくる。 段々と激しさを増す物体同士のぶつかる音が耳の奥に響き、降りかかった仕打ちを否が応にも認識させる。 無意識に腰が浮き、上半身が反っていく。 鼻息と喉から漏れていく呻き声を自分でもコントロールできなくなる頃には 自らの身体に何らかの変化が起こっていることを、認めざるを得なくなっていた。 半笑いで俺の前に立ち、見下すような視線を浴びせている男にも、それは分かっていただろう。 汗とローションで濡れた上半身を、再び他人の手が這う。 脇腹から腹、鳩尾へと上がってくる指が、不意に動きを止めた。 「こーいうところも、意外と感じちゃったりするんじゃねーの?」 耳元に顔を寄せ囁いた男は、2つの突起を親指で弾く。 「ん、うっ」 言い訳すらも思いつかない、直接的な快感が頭を巡った。 今まさに玩具でほぐされている場所よりも、遥かに身体を奮わせる。 「おやぁ?乳首がお好きですか?部長」 茶化した言葉を吐く男の指が、乳首を摘み、引っ張り上げた。 「……ぅう、っん」 出ていった情けない声が、更なる執拗な責めを誘発する。 痛みを覚えるほどに捻じられても尚、官能の波が、僅かな抗いすらも押し流していく。 乳首を挟み込む、金属製のクリップ。 強烈な痛みが、快感となって脳に伝達される。 鉤状になっている持ち手の部分に、男は玩具のリモコンコードを引っ掛けた。 その重みと振動で、性感帯は更に責めを負う。 「オレの勝ちは、ほぼ決まったな」 男の膝が、股間を弄る。 萎れていたはずの性器は、いつの間にか、その傾きを増し始めていた。 男の手にあるのは、肛門を辱めているものと同じ玩具だった。 振動する物が、勃起し始めた性器に近づいては、離れていく。 その度に、それは、何かを求めるように小さく反応を見せる。 「虐めて欲しくて、しょうがねぇって感じ?」 混乱する頭の中に、否定の言葉は浮かんでこない。 けれど、その欲求の伝え方も、分からなかった。 小さく鼻で笑った彼は、左手でおもむろにモノを掴む。 「ほら、一回頷くだけで良いんだぜ?チンポも弄って欲しいんだろ?」 負けを確信しながら、頭を小さく揺らした。 物体が亀頭を舐めていく。 「んんっ、んぅ」 箍の外れた身体に、性的衝動だけが満ちていった。 全身が強張り、四肢に付けられた枷が甲高い音を立てる。 セックスでも、フェラチオでも、もちろん手淫でも、ここまでの快感を刻まれたことは無かった。 玩具で撫でられて程なく、性器からは汁が滲み始めてくる。 「もうガマン汁出てきたし。もしかして早漏?」 濡れた部分を親指で弄りながら、彼は更に別の部分へも責めを伸ばす。 「っふ、んーっ」 仰け反った身体から、本能の叫びが出ていった。 裏筋にローターを宛がい、そのまま握り締める男の手に段々と力が籠められていく。 「気持ち良いのか?あ?」 思わず首を振った俺の口から、彼は乱暴に猿轡を外した。 涎を引き摺りながら投げ捨てられた物が、地面に落ちる。 「感じまくってんだろ?だったら、気持ち良いって叫んでみろよ」 小刻みに玩具を裏筋に擦り付けられ、理性が吹き飛んでいく。 「あ、う……きもち、いい……っ」 -- 5 -- 画面には、俺の社員証がアップになって映し出されている。 「……営繕部部長、能登洋司」 男の声が終わると同時に、カメラは、その奥の痴態へとピントを移す。 「いい歳したオッサンが、オモチャで弄られてビンビンになっちゃってまーす」 眉間に皺を寄せ、快感に耐える紅潮した顔。 クリップで挟まれた二つの乳首。 アルミテープで裏筋と亀頭にローターを固定された、勃起した性器。 プラグで栓をされた肛門から伸びる、二本のリモコンコード。 再び戻ってきたカメラの向こうから、質問が飛ぶ。 「気持ち良いっすか?淫乱、部長」 伏せていた眼が、躊躇いがちにこちらを向いた。 「……は、い」 「エレベーターの中じゃ、あんな堅物そうに見えたのに」 俺にスマートフォンの画面を向けたまま、彼はいやらしい笑みを浮かべる。 「自分の恥ずかしい動画観て、イきそうになってやんの」 客観的に見せられた自分の姿は、恥辱となって更に身体を追いつめた。 性器を垂れていく汁は僅かに白濁し、限界が近いことを物語っている。 しかし、その至福は、彼の手によって突然打ち切られた。 「ここまで来れば、オレの言うこと、素直に聞けるよなぁ?」 目の前に差し出された物に、息苦しさにも似た躊躇いが芽生える。 大きさは並み以上、まだ若く張りのある半勃ちになった男の性器。 彼は俺の頭を掴み、それを口元に押し付けた。 「ほら、口開けろよ。イきてぇだろ?」 イきたい。 無理矢理こじ開けられた本能の扉の向こうから、声がする。 今はただひたすら、自らの性欲を解放したかった。 咥内を蹂躙するモノは、凄まじい勢いで喉奥を突いてくる。 鼻先が彼の身体に潰される度に、目の奥で火花が散った。 男に犯されているという事実が、男としての矜持を崩していく。 絶望的な敗北感が、更に焦燥を加速させた。 玩具を抜き取られた穴が粘液で満たされ、衝動の滾る性器が股間に擦り付けられる。 貫かれる瞬間を見せつけようと、男は俺の腰を更に高く持ち上げた。 未だ勃起している自らの性器が、否が応にも目に飛び込んでくる。 そして、その向こうには、男が中に入らんとする光景が見えた。 「が……あ……っ」 人工物とは比べ物にならない程の圧迫感が、全身を締め付けた。 荒い鼻息を一つ吐いた男が、俺の太腿を抱えるように持ち、そのまま腰を動かし始める。 衝撃と痛みが心身を振り回し、俄かに思考を停止させていく。 「ぐっ、う」 目を閉じた俺の耳に様々な音が響き、それら全てが、今まさに行われていることが現実であると知らしめた。 苦行に耐える時間が、彼の息遣いと共に刻一刻と積み重ねられる。 初めての刺激が変質し始める頃、不意に大きな波が打ち寄せた。 こちらを向いた性器が、再度快感に震え始める。 「っひ……ああっ」 「かわいー声出しちゃって。ケツ掘られながらイっちまうか?」 男と玩具に蹂躙される二ヶ所の相乗効果は、残酷な程に大きい。 肛門を出入りする性器が体内をこする度に、欲望が噴き出しそうになる。 「ほら、イけよ。あんたの、負けだ」 腰を打つ動きが更に早くなり、鼓動が割れんばかりに勢いを増す。 「あっあ……う、くっ」 俺の、負けだ。 一瞬弾けた光が頭の中に拡がり、腹を汚した自分の精液の感触で、それが拭われる。 追いかけるように男は短い喘ぎを上げ、身体の奥に、欲求の残渣が放出されていった。 この夜は、何だったのだろう。 不運を表すような冷たい春雨の中、歩きながらぼんやりと考える。 あの時、会社に戻らなかったら。 あの時、エレベーターのボタンを押し間違えなかったら。 あの時、扉に手を掛けなかったら。 過ぎてしまったことへの後悔を何度も反芻しながら、溜め息を吐いた。 しかし、時折感じる身体の奥の痛みが、その思考回路の流れを僅かに澱ませる。 甚振られ、犯されたという現実は、痛みと屈辱と、得も言われぬ快楽を刻みつけた。 しがらみを捨て、本能のままに迎えた絶頂を思い返すと、何かが疼く。 「ばら撒いたりしねーよ」 悪夢の終わり、男は床に水を撒きながら言った。 「皆に知れたら、意味ねぇし」 凌辱の跡を辛うじてコートで誤魔化している俺に卑しい視線を送り、小さく口角を上げる。 「オレだけがあんたの弱みを握ってる。それが良いんじゃん」 彼だけが知る、俺の本性。 心の中に芽生え始めた、この歪んだ衝動を解放してくれるのは、彼しかいない。 あれから、エレベーターや社屋の中で顔を合わせる機会は何回かあった。 けれど当然、立ち位置は対角線上のまま変化は無い。 無言の箱の中、彼の後ろ姿を見やる程に少しずつ焦燥感が募っていく。 仕事帰り、非常階段で11階へ上ってみることもあったが 閉ざされた扉を開けることはできないままだった。 -- 6 -- 2週間ほど経った日の昼休憩の際、久しぶりに部下を連れて昼食に出た。 駅から続くデッキには前日に降った雪が残っており それなりに人通りの多い場所では、足元の悪い場所を避けようとちょっとした渋滞も起きている。 ふと視線を揺らしたタイミングで、向こうから歩いてくる一人の男の姿が目に入ってきた。 顔を上げたコート姿の彼は、俺を認識したのか、軽く目を細める。 行き過ぎるまでの数秒間、待ち侘びていた眼差しを受け止め続けた。 その夜、エレベーターホールに着くと、丁度エレベーターが上がってくるところだった。 確信があった訳では無かったが、追い立てられるように非常階段を駆けた。 だだっ広いホールは相変わらず薄暗い灯りで照らされ、人影がぼんやりと浮かんでいる。 やがて到着したエレベーターの光が姿を浮かび上がらせ、やっと彼が口を開く。 俺を見る彼の表情は、特に感情を表してはいなかった 「……何か?」 答を窮している間に、エレベーターは再び閉まる。 「……何だよ。殴りにでも来たのか?」 口に出せるはずも無い願望を、悟ってくれはしないか。 否、悟ったところで、彼からそれに応えることはしないだろう。 ふと、閉ざされた扉に視線を送った。 その気配を察したであろう男が、僅かに表情を変える。 目の奥に、彼の本性が垣間見えた気がした。 未だ言葉の出ない俺を小さく鼻で笑い、顎を軽く上げる。 「残念だな。今日はもう店仕舞いなんだよ」 背格好の殆ど変らない、20歳ほども年下の男に見下される屈辱。 それでも尚、縋ろうとしている自らの衝動に恐怖すら感じた。 「何なら、そういうとこ、紹介してやるけど?」 からかい口調の言葉に、つい首を振る。 「……違う」 「何なんだよ。面倒くせぇな」 「……君じゃなきゃ、ダメなんだ」 会社から歩いて5分ほどのところにある公園に、人の気配は殆ど無かった。 先に行っているよう指示された公衆便所の前にあるベンチに、一人腰を掛ける。 吹きつける乾いた風は顔を凍えさせ けれど、これから起きるであろう出来事を妄想して逸る身体は、徐々に熱を帯びてくる。 程なくやってきた男の姿は、昼間にすれ違った時と変わらない物だった。 右手から下げているのも、小ぶりなビジネスバッグが一つだけで 俺の身体を散々貶めた、いかがわしい品々が入っているとは思えない。 彼は2、3秒ほどこちらへ視線を向けると、便所へと消えていく。 寒風に晒されて僅かに呼び起された理性を振り払うように一息吐き、腰を上げた。 最近改修されたであろう便所の中には、独特の臭気が満ちている。 左手にはカウンター式の洗面器が2つ、その奥に小便器が4つ並び、右手にある大便器のブースは2つ。 男は奥のブースの前に立ち、先に入るよう促す。 割合広めに取られたスペースには洋風大便器と荷物棚が設置されていた。 「コート脱いで、そこ座って」 扉の鍵を後ろ手で閉めながら、彼は命令を投げる。 言われるがままコートを脱いで渡すと、そのまま乱雑に折りたたみ、棚の上に投げ置いた。 便座の冷たさが服を通して伝わってくる。 真正面に立つ彼は、意味ありげな笑みを浮かべて俺を見ていた。 やがて自らのコートのボタンを開け、地味な色のネクタイを外し始める。 「あんたが悦びそうなもん、今日は何も持ってねーんだよなぁ」 体温を微かに帯びた紐が、腰の後ろで組んだ俺の両手を拘束していく。 「だから、勝手におっ勃てな」 「……え?」 耳元に口を据えたまま、男の手は無防備な俺の股間へ伸びる。 「あんたみたいな変態なら」 的を微妙に外した指の感触に、鼓動が早くなった。 「オレにされたいこと想像しただけで、勃つだろ?」 彼の手が首元に伸びてきて、ネクタイを少し緩める。 ワイシャツのボタンが外され、やがて上半身が露わになった。 乾いた指先が冷たい感触を引き摺りながら胸を弄り、乳首を軽く突く。 首筋に寒気が走るような優しい快感は、すぐに刺すような痛みに替わり 双方の突起への責めが深い息を吐き出させた。 スラックスのファスナーがゆっくりと下げられ、その隙間に他人の手が入り込む。 「何だ、もう半勃ちじゃん。どんだけ欲求不満なんだよ」 引き摺り出された性器は、確かに頭をもたげ始めていた。 静かに根元から撫で上げられると共に、吐息が荒くなる。 柔らかい刺激は焦燥感を募らせ、ますます身体を急き立てていく。 やおら自らの鞄を探り出した男は、一笑して何かを取り出した。 「良かったなぁ。大好物があったぞ」 黒光りする玩具のコードを指に引っ掛け、俺の目の前で揺らす。 「……で?何処弄って欲しい訳?」 高圧的な視線が心身を辱め、一瞬言葉を失う。 けれど、そこは、小さく痙攣を繰り返しながら期待を募らせていた。 「ケツの穴まで晒しておいて、今更恥ずかしがんなよ」 あらぬところから涎が滲んでいくのを感じ、唇が震える。 「……チンポ、弄って、下さい」 微弱な振動が、竿を刺激しながら徐々に先端へ向かってくる。 声を抑えようとすると呼吸が乱れ、妙に息苦しさを感じた。 彼の指が先走る液体を拭うと、ヌルヌルとした感触が背筋を仰け反らせる。 「ここがお好きなんですよねぇ。部長」 楽しげに玩具を手にする男が、敏感な部分へ物を押し付けた。 「……っく」 思わず腰が跳ね、誰もいない便所の中に音が響く。 「暴れちゃダメですよー」 「ううっ……」 出力を上げながら裏筋と亀頭を撫でまわす彼の顔には、白い歯も覗いている。 「我慢汁ダラダラで恥ずかしくないんですかぁ」 軽口の中に含まれるのは、社会的地位への鬱憤かも知れない。 何であれ、それが俺自身をも昂ぶらせていることは、確かだった。 -- 7 -- 遠くで物音が聞こえたのは、気のせいでは無かった。 近づいてくる足音はやがて建物の中に入ってくる。 淫らな妄想で意識がはっきりしない視界に、若い男の卑しい笑みが映った。 何某かの足音は、ブースのすぐ傍で止まる。 男は扉を一瞥した後、俺のネクタイを静かに外し、ワイシャツのボタンを外し始めた。 衣擦れの音すら恐怖に感じる中で、ひたすら息を潜める。 程なく、放尿する音と共に見知らぬ男の安堵の溜め息が聞こえてくる。 中途半端に肌蹴られた衣服は、けれど彼の目的には十分だった。 首筋から辿られる指の気配に頭を小さく振っても、何の効果もあるはずは無かった。 ファスナーを上げる音に続いた洗浄の音に紛らわせ、息を吐いた。 乳首を撫でる指は、俺の緊張をあざ笑うかのように軽やかに動く。 遠ざかる足音に心が緩んだ瞬間、目の前の男がドアの扉を拳で突いた。 顔の見えない男は、思慮が深すぎた。 立ち止まった足音が、再びこちらへ近づいてくる。 彼は俺の顔を見たまま、指の動きを止めない。 「……大丈夫?」 目の前の顎が、軽く上向く。 何か答えてやれ、そういう意図だったのだろう。 「……ああ、へい」 瞬間、両乳首が摘み上げられる。 「……っき、だ」 「ホントに?ヤバかったら救急車呼ぶ?」 捻じるように弄ばれ、喉が震えた。 「い、や……だいじょう、ぶ」 「……そう」 当然のように訝しげな声が興奮を助長し、きつく引っ張られる刺激に抗いがたい快感が湧き上がる。 鞄を探るような音がした後、頭上から何かが降ってきた。 「お大事に」 床に落ちたのは、広告が付いたポケットティッシュ。 それを見た男は小さく笑みを浮かべ、ようやく指を放す。 「どーも」 足音が聞こえなくなる頃、彼は愉しげにそう叫んだ。 裸にされた下半身に、凍える空気が纏わりつく。 それでも一所に集中した興奮は冷めないままだった。 「何もしてねーのに、マジでビンビンになってんじゃん」 男はそれを軽く指で弾いた後、自らの性器をこちらに突き付けてくる。 「ほら、ガッツリ掘ってやるから、丁寧にしゃぶれよ」 二人の息遣いと水音だけが耳に届く。 奥底の疼きを取り払ってくれるのは、これしか無い。 快楽を求める身体に押されるよう、男の性器をじっくりと舐る。 見上げると、時折顔を歪ませ息を吐く様子が窺うことができ、その姿に、あの夜感じた狂気は無かった。 自身のモノが僅かに跳ね始める頃、男は俺の手枷を解く。 便器を跨ぐように立たされ、タイル張りの壁に手をついた。 背後から尻にあてがわれた性器の感触が背中を引きつらせる。 割れ目を数回行き来させ、一息ついた彼は、穴の中に侵入してきた。 激しい痛みと息苦しさは、初めての時と何も変わらない。 性欲さえも吹き飛んでしまいそうな刺激は、全身を強張らせた。 しかし、男は行為を止めることなく、むしろ激しさを増していく。 「う、っぐ……あっ」 歯を食いしばっても漏れていく呻きが、腰を打ち付ける音と共に空に消えていく。 股間に伸びてきた手が、おもむろに性器を掴む。 「よっぽど、ケツが好きなんだな」 萎えることなく留まりつづけていることが、何よりの証明だった。 男に犯され、感じている身体。 刻みつけられた禁忌が恨めしい。 「オレより先に、イくんじゃねぇぞ」 男の動きに変化が出たことで、終焉が近いことを悟る。 ひたすらに腰を突き出し、彼のモノを受け入れた。 脚の付け根を掴む手に力が入り、荒い息遣いが聞こえてくる。 「……うっ」 小さく声を上げた男は、一層深く性器を挿し込み、精液を注いでいく。 得も言われぬ感触は身体をビクつかせ、性感を刺激する。 彼を体内に残したまま自らの性器を扱き、絶頂を追いかけた。 背後の気配が少し距離を置いたと感じ、振り向こうとした瞬間、不意に肩を掴まれた。 そのまま壁に押し付けられた身体に、男の上半身が迫る。 衝動を発散した余韻を残す表情を浮かべ、一回瞬いた。 「く、っそ」 小さく吐き捨てた言葉と共に顔が迫り、程なく、唇が重なった。 柔らかい感触を味わう様にしばらく触れ合わせた後 男の舌は俺の唇を舐め、その割れ目から中へと入り込んでくる。 吐息が漏れ、無意識に舌を差し出す。 貪り合うような口づけは、いつ以来だろう。 唾液と共に絡みつく感触が、歪んだ官能をくすぐった。 -- 8 -- 「能登さん、調子悪いんですか?」 新しい部下になる予定の男は、下請けとしての最後の打合せの席でそう問いかけてきた。 「え、いや……別に。どうして?」 「何かちょっと、覇気がないというか……」 このところ、調子が悪いのは確かだった。 ただそれは、身体の調子では無く、どうやら感情的なものらしい。 同じ問を複数の人間から受けているということは、自分が思っている以上に深刻なのかも知れない。 原因は明らかだった。 けれど、それを公言することは、できなかった。 「そんなことないさ。ちゃんと食って、ちゃんと寝てるよ」 誠実な気遣いに応えるべく、作り笑いを彼に投げる。 「なら、良いんですが」 男の新たな門出まで、後1ヶ月ほど。 それに水を差す訳にはいかない。 長い口づけの後、俺の身体を抱き締め、溜め息を吐いた男とは、それ以来、顔を合わせることは無かった。 背格好が似ているビルメン社員に思わず目を奪われても、次の瞬間には小さな落胆が広がる。 例えシフトや持ち場が変わっても、2週間以上見かけないのは初めてだった。 ある夜、上から降りてきたエレベーターに乗っていたのは、作業服を着た年配の男だった。 軽く会釈をして開のボタンに指を添える彼に、会釈を返し奥へ進む。 静かに扉が閉まり、箱が下がり始める。 対角線上に立つ男に、彼の面影が重なった。 「あの……鳥越さんって、最近見かけないですけど」 探り探り発した言葉に、背を向けていた男が振り向く。 「弊社の鳥越ですか?」 「ええ……。以前、落とし物を、届けて貰いまして」 「そうなんですか。彼なら先日、退職したんですよ。2週間くらい前ですかね」 繋がりを断たれたショックは想像以上だった。 思えば、彼のことで確かだったのは、所属と名前だけ。 何処へ行ったのか探す当てもない。 鬱積した欲情と歪んだ感情は、どうすれば良いのか。 心に穴が開く、その言葉の意味を思い知った気がした。 「佐田と申します」 白井の後任に充てられたのは、彼より幾分年下の男だった。 「いろいろ無理をお願いすることもあると思うけど」 「いえ、白井さんに渋い顔されないよう、頑張ります」 「渋い顔なんてしないよ、オレ」 「自分で気が付いてないだけですよ」 とはいえ入社以来、同じ部署で改築・修繕を担当してきた生え抜きということもあり 経験も実績も十分、というのが白井の談だ。 俺の背後にあるオフィスの方へ目を向けた白井が、矢庭に立ち上がる。 「そうだ、もう一人、紹介しておきますね」 足早に打合せブースから出ていった男を目で追いかけると、真新しい上着を着た社員に辿り着く。 新しい人材を募集しているという話は聞いていたが、恐らくそれがあの男なのだろう。 俺の視線を追いかけ、そちらを振り向いた佐田が、ああ、と小さく声を上げた。 「まだ試用期間ですけど、ゆくゆくは設備リニューアルの方を担当させようと思ってるんですよ」 椅子に座っていた男が立ちあがり、こちらを見やる。 瞬時に狼狽えた表情が、目に焼き付いた。 「まだ試用期間なんですけどね。今は僕の下で勉強して貰ってるところです」 「……鳥越と申します。宜しくお願いします」 小さく頭を下げた男は、やや伏し目がちに俺を見た。 酷く動揺している様子に、こちらまでもが居た堪れなくなってくる。 「設備の方も欠員が出てたんで、まずはそっちを補充しようってことになりまして」 「しばらくは設備更新の案件が増えるだろうしね」 居心地が悪そうに名刺入れを握り締めている男を、白井は随分買っているらしい。 「元ビルメンってこともあって、飲み込みが良くて助かってます」 「そんなこと……まだまだです」 「白井くんはスパルタだろう?」 「能登さん程じゃないですよ」 男にとって、それが幸運だったのかどうかは分からない。 しかし俺にとっては、あまりにも出来過ぎた偶然にしか思えなかった。 帰り際、鳥越の机の傍で立ち止まる。 何処か怯えるような目を向けてきた彼に、冷静な態度を努めた。 「さっき渡した名刺が、ちょっと古いやつだったみたいでね」 そう言って、名刺の裏に伝言を一つ書き留め、手渡す。 「……ありがとうございます」 一度裏を返した鳥越は、俺を一瞥し、それを胸ポケットにしまい込んだ。 「じゃあ、宜しく」 伝言は上手く伝わったらしい。 1階のエントランスで5分ほど待っていると、男が姿を現した。 「ちょっと良いかな」 頷いた彼は、困惑した表情で俺の後に続く。 向かったのは、ビルの脇にある通用口。 夜間専用の通路の為、日中は閑散としている。 先に口を開いたのは彼だった。 「……何か」 「分かるだろ」 俯いた男が大袈裟な溜め息を吐く。 「ああいうことは、もう……」 心境の変化の理由は分からない。 戯れに飽きたのか、新しい獲物を見つけたのか。 それでも俺には、彼が、どうしても必要だった。 「白井とは懇意にしてるんだろう?」 「それは、どういう……」 「しかも、まだ試用期間なんだよな」 狡いやり方であることは承知していた。 「……何だよ、それ。脅しかよ……どっかおかしいんじゃねぇのか?」 「それは、君が一番よく知ってるはずだ」 けれど、これが彼の鬱憤を煽るやり方だと、確信していた。 「オレが話せば……あんただって、終わるんだぞ?」 「彼がどっちを信じるかなんて、明白だろう」 「そこまでして……プライドねぇのかよ」 怪訝な表情をした男の胸ぐらを掴み、引き寄せる。 乾いた息の向こうに、性感が匂ってくるようだった。 「……あるさ。あるからこそ、壊されたい」 彼の眼が一瞬揺らいだ隙に、唇を重ねる。 「君じゃなきゃ……ダメなんだ」 微かな感触が全身を駆け、男の冷たい視線が奥底の性感帯を乱暴に掴む。 「容赦しねぇぞ」 熱を帯びた囁きが待ち侘びる身体に沁みていき、鼓動を少し早くさせた。 Copyright 2015 まべちがわ All Rights Reserved.